息子の自動車学校通学?も、先週どうにか卒検までクリア。あとは筆記だけとなりましたニコニコ



となると、息子が帰る日ももうすぐ。

特に予定が無かった昨日。

思い立って実家にドライブがてら帰省してきました照れ




助手席の息子は、習ったばかりの知識をご披露笑グラサン


「100キロで走ってる車は1秒間に28メートル進むらしいよ」

「高速でガス欠起こすと2点減点らしいでー」


となりから習ったばかりの正しい知識が次々と飛び交うので、私は久々の?緊張した?正しい?運転をご披露笑




実家では母が急だったから〜なんていいながらも、お腹いっぱいの食事を堪能😊






食後、誰からともなく「あれから15年だって」と話し出す。



15年か。





地震があったあの日。

当時、私達家族は揺れがあったものの、大きな被害の無い隣県在住。


私は息子の幼稚園のお迎えも忘れ、ずっとずっと実家家族に電話をかけ続けた。


テレビから見える真っ黒な濁流をタイムリーで見ながら、繋がらない電話をずっとかけ続けた。




夜に電話が鳴った。

「電波が繋がらない。どうにか移動して繋がるところに来た。」母からだった。

そして翌日、妹から「集会所に避難してる。」




私が実家に戻れたのは3月29日。

震度が大きかった地域に近づくにつれ、道路はガタガタ。家は崩れてドミノ倒しの様に倒れた家。庭で煮炊きをしている人々。

母校は安置所になり、焚き火で暖をとる為、色々なところから煙が見えた。

海岸に行く勇気は無かった。というより、瓦礫で行けなかった。

戦後の風景をみているのかと思う様な景色に、過呼吸になるほど涙を流した。




祖父母が住む家屋は住める状態では無かった。

修理はいつ来てくれるか分からないから、出来るところは自分達しておくといいながら、80歳を超えた祖母が金槌を持って壁を崩していた。

写真は唯一1枚だけ撮ってあったもの。



妹と母が話しだした。

あの時はみんな必死だったね。

生きる為に必死だった。少しずつ分かってくる安否情報に、現実におきてる出来事では無い様な気がした。悲しむという感情を拒否していた様な感じだった。

家族が亡くなった人の前では涙は見せられなかった、私が生きている事が申し訳なくて。泣く事を脳が生きてるから我慢しなくちゃと変換していた日々。




15年たって、やっとあの時の事をみんなで話せる様になったねと笑いながら泣いた。


なんだかちょっと気持ちが軽くなったねと最後は笑顔でお別れ。





日帰りの帰省はなかなかハードだったけど、父母が元気なうちに、もっと会いに行かなくちゃなぁと思った帰省でしたニコニコ





テーブルの花。
今日も息子は花瓶の水を変えてくれました飛び出すハート