巷説絵草紙(こうせつえぞうし)-乗合馬車

なかなか更新しないで申し訳ございません。
上のイラストの乗合馬車の調べていました。
私の友達でくるまやという神社仏閣の特殊な建築する会社に勤めていた人がいます。
くるまやいわいる馬車の車輪のRを木材の細工が得意な神社仏閣の大工が馬車を作ったわけです。
明治2年に東京~横浜間を日本初の馬車が走っています。この馬車は、輸入物で
日本人は器用で物まねがうまいので船大工の流れをくむ気仙大工と呼ばれるくるまやの大工がRの車輪を
見よう見まねで国産の馬車を作ったということを友達から聞いたのでそれが実用化されたか実際使われたか文献が残っていませんが、このエピソードをコミックストーリーにフェクションで挿入しょうと考え
更新しないでいました。これの筋がまだ書けていませんのでイラストのみUpする次第です。

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「焼け野わらび」を書く描く資料に司馬遼太郎の「この国のかたち」を読みつつ描いて書きます。
愛国心というとナショナリズム的であり君が代、日の丸を歌い、崇めるのが踏み絵みたいになっていますが
そんな強制的なことで国というものをわかるはずがない!
巷説絵草紙(こうせつえぞうし)-このくにのかたち
ここでクドクドと理屈を並べるのは好きじゃないので昨日の記事土地から引用しますと、元侍、家老筋の三人の若者がいますね。
この三人は「この国~」の本から地侍という項目からヒントを得て引用しました。
仙台藩は侍が二割もいました。

大半が半農半士の地侍で、戦国と違って覇権で領土を拡大できませんので、
伊達は土木、開拓、開田で米の増産をするんですね

最高時には表向き60万石位でしたが、100万石くらいになった時があったそうです。
その年貢米を納めたほかの余剰米は、石巻から江戸へ運んで売り藩が儲けました。

土木の指揮や開田(困難な開拓)を地侍という半農半士にやらせました。
だから二割も侍がいるわけです。
その侍は今でいう派遣社員と同じで、
開田や土木工事がうまくゆけば雇用されますが、
うまく行かなければ派遣切りと同じで使い捨てな訳です。

仙台藩は堰(せき、簡易ダム)の工事、干拓、運河の工事が盛んでした。
その工事の工期がおくれたことで牢に入れられた責任者がいるほどです。

なぜ山間部の開田を進めたかというと、昨年のように暑い夏の季節だと、
平野部は日照りで不作になり飢饉になります。
山間部は雪解け水を蓄えた湖や沼がたくさんあり水の確保ができますし、
平野部が高温で不作であっても、
高地では適温であって豊作になり、平地の不作をカバーできるのです。
でも、ほとんど低温障害で不作なのです。
いわば伊達の米の賭けごとの安全弁な訳です。
そういうことが「この国」を読んで知りました。
ある意味、学校で教わった歴史なんて暗記だけで
あんなものが目からうろこが落ちる本でした。


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巷説絵草紙(こうせつえぞうし)-UG63
続く
この国のかたち

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巷説絵草紙(こうせつえぞうし)-UG63続く
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元侍1「小太郎さまが亡くなり」
   2「後継ぎが」
   3「心配なのすか」
はな「後継ぎは吉太郎が」
吉助「オラも大崎家の婿養子なったでのう」
はな「冬の間だけ越後へ帰(きゃ)って」
吉助「荷は新しくできる郵便馬車でここに届け」
はな「わだすも今まで旦那の得意先を回り稼いで」
吉助「オラが他地域の新規を商いする」
元殿「俺が心配なのは新政府になり百姓をやめでもいいことだ」
元侍1「そだら心配ねぇ我ら家老筋の3人は」
2、3「この土地はなれねぇ」

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