ブログ一時閉鎖
自分の至らなさから、公私混同し、沢山の方々にご迷惑をお掛け致しました。申し訳ございませんでした。
全ての記事を削除ました。この様な事に成ったのは、問題の解決や、弁明の為に書いた事が、逆に緊張を高めたり、他の人を傷つける事に成り、誰のせいでも無く全て自分が招いた事です。
以前、やられても、やり返したら争い事は終わらないので我慢すべきだと書いたのに自分がそれを忘れていました。
意見の対立や、考え方の違い、に我を通し過ぎたり、強引で自分勝手な行動も多かったです。人間不信に陥り、アドバイスとクレームの違いも分からなく成って、人の意見に耳を傾けなかった所も有ったと思います。
何でこの人は、こんな事を言うのだろう・・・何でこんな事をするのだろう・・・、それに対して、自分が意見を言ったり、行動を起こすとどうなるかなど、もっと慎重に成り、色んな人に相談をしてアドバイスを貰い、決して自分の考えが100%通る事が無くても、最低限、争い事が起こらない妥協点を見つける事の重要性、何かを決定する時は、みんなの意見を聞いてお互いにわだかまりや、しこりが残らない様にすることの重要性を思い知らされました。
突然の出来事や、展開に、誰を信じて良いのか、誰に相談をしたら良いのか、分からなく成ったり、相談を持ちかける事がその人の負担になるのではと考えたりして、凄く狭い所で決定した事が、強引で自分勝手な行動につながった様に思います。
自分を鼓舞する為に強がって書いた事や、言った事、引用した事で、嫌な思いをした方もおられたと思います。
不安や、緊張が続き1つ1つの問題の解決を急いでしまい、もう少し行動を起こす前に話し合いを重ねて平和的な解決方法を模索するべきだったと深く反省しています。
今後は、自分を見つめ直し、2人の人間が話し合えば、2つの意見が有り、お互いが100%を求めるのではなく、妥協点を見つけなければならない事を肝に銘じ、協調性や社会性を持って、争い事が起こらない様に努めてまいります。
毎日ブログを読んでくれて、メッセージやコメント、プレゼントを頂き、また、沢山の方々と友達に成れた事は幸せに思っています。
辛い時、苦しい時にあなた達の一言が、励みに成りました。
いきなり、何の説明も無く閉鎖すると余計な緊張を生んだり、行動につながる恐れが有るので、重ね重ね、誰のせいでも無く、一重に私の責任です。
五島は、自然に恵まれ、美味しい物も沢山有りますので、是非一度お越し下さい。
今まで、ありがとうございました。
弔電
おじいちゃんのご逝去を悼み謹んでお悔やみ申し上げます。日頃は、他人のおじいちゃん、おばあちゃんのお世話をしているのに、自分のおじいちゃんの時はお世話に行く事も出来ず。申し訳なく思っています。
3年前に、何も言わずに突然訪れた時に、もう何年も、おじいちゃん、おばあちゃんの事は、ほったらかしだった自分の顔を見るなり、一言目が、「わしがな~生きとるうちにな~あんたが会いに来るのを待っとったんじゃ~」だったので、涙が止まらなかった事を今も鮮明に覚えています。
訪れる前に、日頃、葬儀の仕事に携わる中で、「おじいちゃんが亡くなっても、自分は、葬儀に行く事が出来ないだろうな・・・」「行けても、線香を1本あげてトンボ帰りする様な事しか出来ないだろうな」と思い、「亡くなってから葬儀に出席するよりも、元気で喋れる間に会いに行こう」と思って行きました。
おじいちゃんと過ごした2日間は、自分にとって、忘れる事の出来ない素敵な時間でした。
おじいちゃんから「わしとあんたは気が合うけん友達に成ろうな~」「あんたは今日から、わしの兄弟に成ろうな~」「あんたはえ~な~○○(母)の息子から、わしの息子に成らんか?」と言われた事を嬉しく思っています。
おばあちゃんにおかれましては、長年おじいちゃんを支えて頂き、御苦労様でした。おじいちゃんから、「おばあちゃんみたいなお嫁さんをもらう様に・・・」言われたので、自分もおばあちゃんの様なお嫁さんを貰います。
おじさん、おばさんにおかれましては、近くに居ない母に代り、お世話を頂き、ありがとうございました。
おじいちゃんは、地域の皆様や、色々な人に支えられて「わしは、みんなのおかげで、ここまで大きゅう成れたんよ」と言ってました。
おばあちゃんが1人、残されますが、おじいちゃん同様の温かいご支援をお願い致します。
おじいちゃんとの別れ際に、お互いの中では、「これが最後の別れ」に成るだろうと思いながらも、「また会おう」と約束をしました。「わしらは、お互いが、仏様に成っても一緒やけんの~」と言う言葉を胸に、強く生きて行きます。「おじいちゃんありがとう」遙かな地より心よりご冥福をお祈り致します。