🔳 第2次近衛声明と東亜新秩序
東亜新秩序は、第2次近衛声明により1938年11月3日に出され、東亜新秩序声明ともよばれる。
近衛首相は、日中戦争の目的は、日満支三国〉の提携による東亜新秩序建設にあると声明とした。
日中戦争において、日本は中国への決定的打撃を与えることができず、解決の見込みのない長期戦の泥沼に陥っていた
そこで1938年11月3日「東亜新秩序声明」(第二次近衛声明)を発表した。
声明は、日本の戦争目的は「東亜新秩序建設」にあり、国民政府が抗日容共政策を放棄すれば、新秩序建設の一員として拒否しないとした。
第一次声明の「対手トセズ」という態度を修正して、和平への期待を示すとともに、国民党副総理汪兆銘(おうちょうめい/ワンチャオミン)を擁立する意図が盛り込まれていた。
その結果、汪兆銘は、重慶政府を離脱、1940年3月、親日政権の南京国民政府を樹立し首班となった。講和に応じるなど日本に協力したが、国民の支持は得られなかった。
よって以下の疑問が生じる。
アジア人による東亜新秩序という戦争目的を日本政府の政策としたのは、1938年11月の東亜新秩序声明であり、それまでの日本の対外戦争はどう説明されるのか?
欧米支配からの解放を目指した筈の東亜新秩序の一環としての汪兆銘政権は中国民衆から結果として、支持を得られなかったのは何故か。
731部隊による人体実験は、欧米人からのアジア解放と何の関係があるのか?
参考・引用文献
『世界史の窓』汪兆銘政権
小学館 『日本大百科全書』
山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」
株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」