前回ブログを記載してから約11日くらいでしょうか…。
その間に状態が急激に変わってしまいました。

11日前は意識も普通に戻り、自分のハッキリした意識でした。
皆でいつも通りの会話が出来て幸せでした。
2~3日は自分でご飯も食べ、眠っていない間は皆で笑ったりもしながら会話し、ほんの少しの事が幸せでした。

しかし、4日目の夜から急に吐き始め、痛みも強まり、悪化しました。
痛み止めの間隔も短くなりました。今までは座薬で8時間程、大丈夫だったのですか6時間へとなり、苦しい状態が丸一日続きました。

5日目、少し落ち着いたのですが、痛みで機嫌が悪かったです。
6日目は朝機嫌が悪かったらしいのですが、私と子供が話をしに行ったら機嫌は治りました。
その後、子供が騒ぎ始めたので一度私が戻り、入れ代わりでお友達と会話をしたようです。

7、8日目は機嫌も悪くなく、ただ痛みがくる間隔がさらに短くなってきてる様でした。
点滴からの痛み止め、座薬でもっていたのですが、このまま座薬の痛み止めが効かなくなれば再び、注射?の様なモルヒネ入りの点滴もプラスになるとの事。

9日、朝から父の所へ行きました。座薬間隔が短くなったのでほとんどが寝てますが、寝てても声は聞こえてるかもしれないので話しかけたりしてました。
途中目を覚まし「もう少し頑張るからな~」と…。どれほどの痛みや苦しみと闘ってくれてるのかと思うと涙が溢れるのを必死に堪えてました。
まだ父の前では涙を流す事は私はしたくなかったんです。顔が見えて会話が出来る時は笑顔を向けてあげた方が父が微笑んで安心してくれるので。

10日目、午前中は父の家の花に水をかけ、仏壇の水やお酒等を綺麗にし、夕方に病院へ。
行くと目を覚まし、私にありがとう。ありがとうなぁ~。と言ってました。私の方こそ感謝だらけなのに。
しばらく父の手を握りながら話しかけ、子供のご飯やお風呂の時間がきたので「明日も来るからね」っと言うと「まってるな~」っと声を出すのも大変になって来てるのに言ってくれました。

11日。今日。
朝から行くと「今までありがとうな~。ありがとう」と。私や母、妹に手を合わせながら言いました。手をにぎりしめてあげると一人一人に感謝の言葉を言ってきました。
話しかけたりしてたのですが、私は子供がお昼になったので一度ご飯を食べさせに帰りました。
「ご飯をあげたらまた来るからね」っと言って手をにぎりしめると「また来いよ~」っと言ってくれました。

お昼を食べ戻ると、病室が変わっていて父が酸素のやら心臓あたりにコードやら色々ついていました。
ほんの少しの間に急激に変化が起きたらしいのです。

看護婦さんが血圧を測り終えた結果を見て、看護婦さん達がバタバタとし始め、急に父が息苦しい状態へとなり、熱があがり、緊迫状態へとなりました。

私が来た時には一時の峠、山場の様でした。
父に「約束してたから来たよ!苦しいだろうけど今を頑張って!そばに居るからね!」っと言うと目を開き、首を少し縦にうなずき、力の無くなった手を一生懸命に延ばして来たのでしっかりと握りしめていました。
目の黒い部分に白い膜の様なのが出て来ていました。
でもきっとまだ見えていたと思います。

しばらくすると呼吸と脈が少し落ち着いてきました。目を開き何かを伝えようとしていたみたいですが、声を出すことも出来ない状態で私たち家族の声や父の友人達の声に首を何とか少し頷く感じでした。

夕方になり父の状態も安心とは言えませんが、落ち着いてきて、眠りはじめたので私は母と妹に託し実家へ。

正直、落ち着きません。
少しでも頑張って欲しい。でも苦しむ父を見ているとゆっくりと休ませてあげたいとも思えます。
でも居なくなるのは考えたくないけど先生もいつどうなるか覚悟はしていて下さいでした。

父は朝のあの時にはこうなると予想していたのでしょうか…あれが父の最後の言葉になるのでしょうか?
帰ってから涙が出ます。子供が「ママだいじょうぶ?」と心配するので堪えてましたが。
寝たら一気に声を出さずに泣いてしまいました。

苦しいだろうけど頑張って欲しい。
でも苦しませたくない。
でも居なくなって欲しくない。

色々な気持ちがぶつかります。父が頑張ってるから私も泣かずに頑張らないと。

心が苦しい。
明日、朝早く行く予定です。
今、現在も父は必死に頑張ってます。
頑張ってとしか言えない自分が悔しい…。
夕方に先生の方から膵臓の炎症と話してもらいました。病名が分かれば少しは落ち着いてくれるんじゃないかとの策でしたが…炎症なら家で治すって感じだったそうです。

っと言うか…まとも聞いて無い状態だったらしいです。

最近の記憶の話じゃなく過去の話を今現在の様に話してたそうです。

余りにも酷い状態だったので少し睡眠薬をいれてもらい、夜中の2時くらいまでは効いているらしいです。

夜中2時前までは母と妹は気を休め、少しでも睡眠を取り、再び2時頃には病院です。

私は子供が居る分、余り協力出来ず苦しいです。

母や妹は息子で癒されてる様です。

また明日はどうなってるのかな…

もうおかしいまま戻る事は無いのでしょうか……

最初は父にガンなのを告げるかどうかも悩んでましたが、父はガンと知ればあの人の性格上とんでも無い事になるのは目に見えます。
人によっては告知して欲しい人もいますが、父の様な人にはしない方がいいでしょう…。

私はもし自分がなったらまだ若いのでガンなら知りたいと思います(末期一ヶ月だろうと。)、子供もいるし、やり残した事はいっぱいあるからです。

もし、これを読んでいる方にガンになった家族が居る、突然なってしまった方がいるなら、性格などをふまえ、告知すべき人かどうかしっかり考えて下さい。

私がこんな日記?を書いた理由は、私自身が父がガン末期となりネットを色々検索した時のブログ等が色々考えさせられ、どうなって行くのか経過を知ったからです。

経過を知ったお陰で話が出来るその時その時を大事にしないと…って思えたからです。

いつ会話が出来なくなるか分からないからです。

そしてガンは痛い苦しい思いをしながら………何で病気なんてあるんでしょうか…何で良い人が苦しんで逝かないといけないんでしょうか…

私は今まで心の底から憎んだ事はありませんが、病気というものを初めて心の底から憎みます。。。

何度もPart分けして長くなりすみません。
一体何人くらいの人が読んでくれるか分かりませんが、最後まで読んで下さった方。
心よりありがとうございます。

きっとまた経過を書きます。

私が一生忘れる事の無い事柄だから…………残せる所は残したいのです。

長々とありがとうございました。。
地震で急にご家族を亡くされた方、ご冥福を……。。。
その時の顔を見て分かりました。高齢のボケ状態になっているのを。

辛いけどボケた話に合わせてあげると生き生きした表情になってました…(泣)。

きっとボケが急激に早まったのだと思います。
モルヒネを取ったのは失敗だったかもしれません。

馬鹿になるからと情けをかけた結果。父は無理矢理にでも動き、管を通してあるものから無理に動いたので少し血が混じり、点滴すら引きちぎろうとしました。

力はある男手に対応するにはものすごく大変です。

見舞いに来る人にまでひどい言葉を投げる始末。
みんな分かって居ても傷付きます。

モルヒネを取った影響で睡魔に襲われない結果、帰ろうとする父を引き止めるのは父にとっては虐められてる気分でしょ。

このままでは、父はすべての人を虐められてると思い、怖がり、嫌い、周りにはボケた言動で嫌われ兼ねません。

みんなで話し出した結果は、やはりモルヒネを投与してもらった方が良いのでは?でした。

聞き分けの無い頑固な父にとっては必要な物なのかもしれません。

阿保になってもいい、だけど最後まで少しでも楽でいて欲しい。

周りを嫌い、周りにも嫌われて逝ってしまうのは堪えられません。

あんなに好かれている良い父が。

子供が限界になってしまったので父に帰るのを告げず帰えりました。

告げれば自分も連れて帰れ!となるのが取るように分かったので。
私と子供が帰る頃もまだ痛み止め麻酔が効いているので、帰ろうとワガママ強情のみでした。


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