昔、それもかなり若い頃に高野悦子さんの『二十歳の原点』を読んだ。
ちゃんと購入したのでどこかの箱に入ってるはずですが、最近偶然その文庫本を手にする機会があり、なんとなくもう一度読んでみた。
私は学園紛争末期の世代で、学園紛争はやっていませんが、あの時代は鮮明に憶えています。
著者の高野悦子さんは私より少しお姉さんで、立命館大学の学生さんでしたが、今となっては私の年齢より1/3よりもっと若い人となりました。
彼女が亡くなってからご家族(お父様?)が発表された日記なので、著作物とはちょっと違いますが、何故か当時話題になり、私も読んだんだと思います。
読み終えて、そうそうそんな時代だった!と記憶が蘇りました。べつに不快感は無かった。
彼女がどの程度学園紛争に関わっていたのかイマイチ疑問も残りますが、あの時代の学生(特に大学生)は国に、政治に、大学に、労働者階級(と支配者階級)にもの凄いエネルギーを掛けて反発していました。確かに多くの学生が思想的な読書を沢山していたと思います。
本当に今の若人にはないエネルギーだったと思います。もちろん今の若い人たちは、違う事にエネルギーを費やしてるんだろうと思いますが。
でも、読み返して分かったのですが、彼女は紛争の中で死を選んだのではなく、失恋が原因だったのかな?と、この年齢になってやっとわかったような・・・違ったらごめんなさい。
でも、あの時代の、あの年齢の若者の、あの思春期の葛藤や苦悩、戸惑い、苛立ち、自己否定と自己矛盾を、昔とは距離をおいて読み直せた気がします。
亡くなる半年ほど前の成人式の日の日記の
『ひとりであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点』
が書籍のタイトルになったんだと思います。
人生の答えをだすのに、二十歳はちょっと早すぎたかな~と、歳とった私は今思っています。
読書ネタが続いています。