母親に言われた救われた言葉→中学二年生だった時の私へ | としのさこん×ばるせろな

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国際結婚&海外育児に奮闘!

 

 

 

最近夫と育児方針について揉めたので

 

 

 

 

 

 

 

誰か私の繊細な感受性を理解しつつアドバイスをくれる人がいないか考えていて

 

 

実母に頼んでみたら、

 

 

 

 

 

意外な言葉が返ってきたので投稿したいと思う。

 

 

 

 

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私の育児方針のベースは、私自身が子供時代に直面した悩みを

 

 

私の娘たちに持たせないように、というのが前提である。

 

 

 

そのベースは、「寂しい」「両親に相手にされない」という気持ちを感じさせたくないこと。

 

 

 

「母親は実は私の母親ではないのではないか」という疑問を持たせたくないこと。

 

 

 

 

 

 

その疑問を持って苦しんでいた私のようになって欲しくない、

 

 

 

 

純粋に幼少期を楽しんでほしい、という思い入れが強すぎて

 

 

 

 

 

 

 

いつも愛情を持ってして、きつい(怒鳴る、威嚇的、威し的な)言い方はしない、

 

 

 

落ち着いて話す、でも娘の気持ちも理解して向き合うことを気をつけている。

 

 

 

 

 

 

夫からしたら十二分に甘やかしているように見えるらしい。

 

 

 

 

実際そうかもしれない。

 

 

 

でも愛情は、躾よりも一番大事なことだというのは私は心を持ってして言える。

 

 

 

 

 

 

なので、

 

 

「今は幼いし愛情を優先し、躾よりも大事なことがあるのではないか?」

 

 

 

と母親に相談したところ

 

 

 

 

「きっと夫は自分が受けた躾と違いすぎて不安なんじゃない?

私はあなたに何も厳しくなくていけなかったんじゃないか、と思う。」

 

 

 

と答えられたので、

 

 

 

 

私は厳しすぎても人格が不安定になるようなケース(親戚に有)を説明し

 

 

どうしたらいいのかわからない、と聞くと

 

 

 

 

 

 

 

 

「私はRooibosが友達や部活の子たちとうまくやれなくて、悪口を言っていた時、

あなたにそんなこと言うものじゃないとよく言っていたけれど」

 

 

「今思えばそれが原因でRooibosは逃げ場を失ってしまったのではないか」

 

 

「母親さえ絶対的な味方だということを示していたら、Rooibosはグレてはいなかったんだろうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と言われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただ躾という部分は夫と寄り添った方がいいかもね、じゃないと子供がわけがわからなくなる」

 

 

 

 

 

 

そう言って会話は終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とても衝撃的だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実は自分は中学2年生の思春期から、思いきり道を踏み外していた。

 

 

 

 

 

 

 

部活内とクラス内でいじめにもあって、勉強も点数を稼げず家でもなぜできないのかと叱咤され

 

 

 

 

 

それが原因で、地元の少年課の警察たちから名前を覚えられるほど非行に走ってしまったのだと

 

 

 

 

 

自分は何もできない、無能だと、愛されもしない、どこにもいく場が無く、

 

 

 

唯一まともに対等に相手をしてくれるのが

 

 

 

他の非行少年たちだけだったと当時思っていた。

 

 

 

 

 

 

母親のこの言葉で

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、そういえば

 

 

 

 

母親から私の苦しみを理解されないのが一番辛かった」

 

 

 

 

 

 

 

ことを思い出すことができた。

 

 

 

 

 

私は家で悩みを相談できる人がいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

幼稚園と小学校からの友達と思っていた人たちからいじめられ

 

 

 

 

人間不信に陥った。

 

 

 

 

今でもまだ回復にてこずっているけれど

 

 

 

 

無条件に私を娘を愛してくれる夫のおかげで

 

 

 

 

今では人が何を考えているか怖い、という一番の恐怖を克服できたような気がする。

 

 

 

 

そしてこの母親の言葉のおかげで

 

 

 

 

今の私から

 

 

 

 

過去の私をちょっぴり許すことができたような気がする。

 

 

 

 

心の中の安堵を感じる。

 

 

 

 

 

 

私は間違っていなかった、と。

 

 

 

 

いつも家族が私を"修正、もしくは更生"(心理カウンセラー、保護観察、精神病院へ連れて行かれたことなど)しようとしていたのを、

 

 

 

 

ずっと家族に「私は間違ってない」と反抗していて

 

 

 

 

 

子育てを通じて

 

 

 

 

自分の母親の愛を再確認できたような気がする。

 

 

 

私が信号を送っていたのを否定したせいで

 

 

 

 

私の自己肯定感が無くなってしまったことを今も悔やんでいる母親を知って

 

 

 

 

しっかり愛されていたのかな、と思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

躾と愛情のバランスは、子育てで一番難しい。

 

 

 

 

愛情はありすぎても構わないが(無条件の愛が重要と言いたい。)

 

 

 

 

躾はしすぎもしなさすぎもいけない。

 

 

 

 

 

 

でもやっぱり難しいな、私の母親にとっても難しかったのだから。