遅ばせながら、今日初めてzozo townで買い物をした。
厚底スニーカーを買ったのだ。
というのも、この間駅に向かって歩いていた時、お店の窓ガラスに写る自分の姿を見て、顔でっか!!と改めて(何千回目かの気づきではあるが)驚愕した。
ということで、とりあえず手っ取り早く顔のデカさを誤魔化すべく、今よりもヒールの高いものを買った。
それにしても、zozo townは散財してしまうな、と思った。
いつもなら店頭でセールになっていたりする税込4000円以下のものを本当に必要か吟味しまくって買うのに、8000円という価値について深く考えずにポチってるのである。
それは、普段は出会わないような大量のshopのものを見られるから、普段見ないような高価なものが多い中で選ぶことになるからだと思う。
あと、目の前に靴という物体を見ずに買うため、物体の価値について考えないんだろうな、と思う。物体があれば、重さ、大きさ、光沢、ソールの柔らかさなどを実感した上でこの値段かを無意識に考えているのだと思う。
スマホ画面に写っている靴は、ただHTMLが写し出している仮想物体にすぎない。やろうと思わなければ、本物を持っている様子を想像しないのだ。
でも、こんなにたくさんのかわいい靴をみてしまったら、高価だからといって欲しくならないことなんてない。
散財だなと思いながらも、楽だし自分が知らなかった新たな店のものに出会えるし、これからも使ってしまうと思う。
お金を稼ぐしかないと思った。
私はある程度の適正価格は置いといて、ブランド品などの高価なものを持つのは、お金があることを示すステータスだと思っていた。
でも、今日のことで、お金は欲求を我慢する苦労から解き放たれるためのツールなのではないかと感じた。
なんでもスマホから情報を得られるから、高価なものにかかわらずしたいことも気になることも欲しいものもたくさんできてしまう。
この状況で、消費金額を減らすには少なからず我慢しないといけない。
でも、お金があれば我慢せずに手に入れられるものが増える。
お金は自由になる手段にすぎないのかな
だったら、働いてさえいるならお金でムキになったり節約にこだわったりしないで、お金を使ってでも達成したい目標を持った大人になりたい。
結局働くしかないんだ。