今朝、起きて来た時から体のだるさを訴えていたりっちゃん。

今日、15歳のお誕生日を、けだるさの中迎えました。ケーキあせる

もう15歳・・・。

去年のお誕生日はお祝いどころじゃなかったなぁ、なんて思いながらりっちゃんのしかめっ面を眺めました。

今日は休息日かな?なんて思っていたのですが、学校には行くと言うので、

「じゃあ、今日も点滴受けてからにしようか?」

と、尋ねました。

でも、点滴の気分ではないとのこと。

結局、2時間目の始まりに学校へ。学校
そして車に戻ろうとロータリーに出た時、一人の女性が声をかけてきてくれました。

初対面ではありません。毎日のように顔は合わせ、会釈ぐらいはしていましたが、お話したのは初めてでした。

私と同じ、毎日高校生の娘さんを送迎しているお母さんで、私が送るときにはもういて、お迎えのときにももういる。

娘さんは足に装具をつけ、杖で歩いている。きっと、あの子もどこかが悪いんだろうな・・・、と思いながらも、なんとなく声をかけられずにいたんです。

でも、今日、ようやくお話することができました。

私は、その子の壮絶だったこの数年のお話を聞いて、思わず涙があふれました。

2年ほど前に、お友達と出かけた先で突然言葉が出なくなり、その場で倒れてしまい、お母さんが駆けつけたときにはもう亡くなっているかと思ったそうです。

お友達が呼んでくれた救急車と同時くらいにその場に着いたお母さんは、目の前の出来事を、すぐに現実と受け入れることが出来ず、その後しばらくの記憶がない、と言っていました。

脳内出血を起こしており、最初に運ばれた病院では手の施しようも無く、受け入れ可能な大きな市民病院へ。

搬送に付き添った医師からは、

「覚悟してください。」

を、何度も言われたそうです。

緊急手術で奇跡的に一命を取り留めたものの、その後3ヵ月は意識戻らず、機械によって生かされていたと。

医師からは、目が覚めたとしても視力も、言葉も、普通の生活も取り戻すのは難しいと言われ、一時は絶望の淵に。

でも、今、見事に復学し、1年長くかかりながらも、高校生活を送れるまでになったのです!

それはそれは大変なリハビリを、娘さんは耐え抜いたんですよね。

「私が絶対言葉を取り戻させてやる!そして大好きな学校にまた通えるようにしてやるんだ!」

と、お母さん自ら、あ・い・う・・・から一つずつ訓練したそうです。

もちろん、自分の足で歩けることも、その子にとってはすごいこと。

「私は結婚して、この子が倒れるまで、仕事して、しょっちゅうママランチして、なんの苦労も無い生活をのほほんと送ってきたの。こうなって、なんで私が!なんでわが子が!って思ったこともある。でもね、もしかしたらこうなることで、ものすごく意味のある、充実した人生を娘が与えてくれたのかも、って、いまは思えるの。(´∀`)」

と、そのお母さんは言っていました。

そして、

「重度の脳障害を負いながらも、こうやって懸命に生きている姿をみんなに見てもらうことで、たった一人でもいい。私も負けない!って、この先思ってもらえたら、娘の生きていることにも意味があるでしょ?」

と。

私は涙をこらえることが出来ませんでした。

そのお母さんは、言葉の不自由な娘さんが、コミュニケーション面で困ったときや体調面で、すぐフォローが出来るよう、始業から終業まで、ずっと学校に待機しています。

比べるものではないのだろうけど、私の大変さなんて、どうってことないです。

でも、その言葉には本当に共感しました。

青春真っ盛りの楽しい時期に、病気と闘うことを背負ってしまう子もいる。

不憫に思うときもある。

だけどそれ以上に、人より濃い人生を送ってるんだな、いや送ることができているんだな、と心から思います。

そして、それを受け入れ、サポートしてくれる先生方やお友達がいてくれる学校。

「本当にこの学校でよかったと、私も思ってるのよ(^-^)/」

の言葉で、私も大きくうなずきました。



今日は、りっちゃんのお誕生日。

すごく気持ちが洗われるような素敵な日になりました。キラキラ

今日という日に、改めて・・・

りっちゃん、生まれてきてくれてありがとう!