🍎テキサス★潤ライフ🍒


さて、何を書こうかと机に向かう。


窓の外の小春日和な様子に目をやり、物思いに耽けって沈考するその姿、実はそうではないのである。つい先ほど思いついた件をメモするのを忘れ、思い出そうとしてただ必死になっている姿である。


ほんの30分、記憶に留めて置くだけと軽んじてメモする行為すら忘却し、階段を一段一段と上るその振動に一つ一つの言葉が、アイデアがポロリポロリとこぼれ落ちていく。そして行き着いた先が最初の一文なのである。


さて、何を書こうかと机に向かう。


出掛けようとして車に乗り込むと、ふと鍵を締めたかどうかもう忘れている。家族の誰かが使用してだしっぱなしの血圧計を片付けた後、何処にしまったのか聞かれて答えられない。家のどこかに置いた鍵は、出掛ける前の忙しい時に限って行方不明、捜索活動も行き詰まりさっぱり見当がつかなくなる。


そのもどかしさと無能な自分の情けなさに苛立ったり、慌てたり、声を無駄に荒げたりして、平穏な生活を送りたいと思う心とは裏腹に実際はかなり泡立った毎日を送る羽目になる。え~いもうこうなったら泡立てて泡立てて石鹸のようにブクブクと泡立てまくり続ければ、そのうちだんだんその粒が細かく滑らかなシルキーバブルとなるかと思いきや、下手で乱暴なパティシエが泡立てまくった後のキッチンのように至るところに飛び散り、部屋中を汚し、今や誰も泡まみれの私をチラリと見ても声掛けすらしなくなってしまった。


遂に私は、Grumpy Old Man と呼ばれるのである。




そんな昨今、何かのきっかけで、さてそれが何だったか全く記憶の片隅にも見当たらないが誰かから何となく説明されたこの脳の記憶の忘却システム。


『脳は良くできていて、無駄なことをしようとしない。覚えなくても良いのなら覚えようとしないし、人間が先の行動を終え次の行動に移り出すと自然と記憶を消去していき、記録容量を保とうとするのです。』


と聞いたことがある。


要するに、覚えておく必要がある場合は脳にその必要性があるように思い込ませる演技が必要で、覚えるのが大変であたふたと慌てめいているのを装う行為が記憶を脳に根付かせるのに大切なのだそうだ。そこで集中して複数の行為を同時に行うこともそのきっかけを作ったり、一つの行為を終えた後自分の意識が次の動作に移る前に記憶の確認作業を大袈裟に行うのも有効だそうだ。


よく鉄道従事者や工事現場の作業員などミスが大きな事故に繋がるような現場でよく行われるのが、ダブルチェックであり、指差し確認だ。しかも声を出して意識を集中させ記憶の根付かせと紐付け作業を行う。これを日常生活に活かせば数多くの物忘れは見事に減少するというのである。


手帳を階段の角に置いた時は、階段を指差し複数の行為を同時に行うのだ。指差しながら『 天国への階段 / レッド・ツェッペリン 』を歌う。


携帯電話をベッドの上に置いた時は、すぐさまブロンド美女がベッドで横たわった悩ましい像を想像しながら、勿論『 コールミー / ブロンディ 』だ。


そして、額を壁に掛ける作業中に釘を取りに行くためハンマーをソファーの上に投げ出せば、それを指差しながら『スレッジハンマー / ピーター • ガブリエル』を大声で歌い上げる。


しかしこれには場所に対するキーワードが含まれないため、その記憶も紐付ける為


『天国への階段 + ダンスステップ』

『コールミー + おねんねポーズ』

『スレッジハンマー + お尻つきだし回転』


とポーズもいれれば史上最強記憶脳保持者と変貌を遂げるのである。これも全て脳の老化現象に対抗するという大命題のためであるから決して物怖じし手を抜いてはいけない。さらに付け加えれば年齢を重ねれば重ねる程、動作も鈍くなりキレも失くなってしまうのは明白な事実。その体力維持も兼ね備えるためにも、徐々に肉体的負荷をかけ脳力と体力を同時に鍛えていくのである。常日頃から鏡の前に立ち、動作のキレが落ちていないか確認し修練を積んでおくことも必要だ。




なるほど、自分が若いときには気づかなかったが年上の人たちや近所に多く存在していた不思議なご老人達は若者に比べ動作もスローだったし、石屋のじいさんは何やらぶつぶつと呟きながら自転車を操り走り去る。近所の八百屋の親父は何やら不可解な行動を取りながら腰をフリフリ作業していたし、鳥屋のおばちゃんはよく昭和歌謡曲を大声で唄っていたもんだ。ようやくその理由がわかってきた。ようやくその理由がわかる年齢になってきたというわけだ。


脳の老化現象と闘いながら様々な記憶の忘却に悩みながらも、こうやって街の住人は楽しく日々を過ごす努力をしていたわけなんだな。そう、楽しく過ごすということが大事なことであって、忘れるからと嘆き苦しまずにこれを楽しむ思考の転換が大切なんだ。忘却するということはまんざら悪いことばかりでもないわけで、そのお陰であれだけイライラさせられた腹立たしいことからも解放されることが出来るし、おじさんが出た後の強烈なトイレにもしばらく鼻を摘まんで我慢すれば何とか耐えることができ、突然腹を襲う緊急非常事態にも対処することが出きるのだ。




それにしても、覚えておきたくないことや聞きたくないこと、眼にしたくないことがあまりにも多過ぎる最近の世の中。実は、本当に記憶しておかねばならないこと等、たいして無いのかもしれない。


物忘れが酷くなった事はむしろ喜ばしく、喪失することで出来ることに集中できるのかもしれない。


彷徨えるモンゴロイド
一生浪人の彷徨い旅日記でした。
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