久しぶり家で映画を見ました。
1つ目は、僕が好きそうなスパイ映画「ソルト」。すごいアクション映画でしたが、ストーリーが本当にあってもおかしくない内容なので、ドキドキしながら視聴させていただきました。
2本目はこれこそ正真正銘の実話、「チェンジリング」。
こんな話しが実話なんて、「事実は小説より奇なり」でしたっけ⁉衝撃的でした。
これを、「外国で昔起きた事件で自分とは全く遠い話しととるか」は個人の判断ですが、監督のクリントイーストウッドはなぜこの実話を今の時期に映画にしたのでしょうか?
少し頭によぎったのはウィキリークスがやっている活動でした。
僕がこの映画で特に衝撃的だったのが精神病院の在り方でした。日本も精神科は映画にあったように権力に抗するものを放り込んでいたと聞いたことがあります。いま日本ではそのイメージを払拭するため心療内科と名称を改めて存在します。
名称を変えて、それまで精神科医としての教育内容と心療内科医としての教育内容は全く異なるようになったのでしょうか?
おそらく当たり前すぎて気づかない人が多いと思います。
それは夫婦がどれだけ相手のことを知っているか、又は知ろうとしているかです。

拙者は結婚して2から3年は、「夫婦でもあまり干渉するのは災いの元」という認識があり
何かイライラしているなと感じた時は、気分転換に外に連れ出すようにしていました。それが自分の中の良いパパ像だったのです。
しかしそれは奥方が発する信号だったのです。

当時、娘は1歳。妊娠してから奥方は専業主婦でした。拙者は整骨院の雇われ院長でした。帰りはクタクタにくたびれていました。
休みの日は普段忙がしく働いているのだからのんびりさせてくれよと思い、奥方の発する信号の意味を突き詰めようとはしませんでした。
要は奥方を知ろうとしていなかったのです。


拙者と奥方は最近ブログを始めました。たまに、お互いどんなことを書いているのか見てみるのですが、その中で最近拙者が登場していました。
全体的には以前より拙者のいう事が素直に聴けるようになってきたというものでした。それは拙者が変わってきたというようなお褒めのお言葉でした。

結婚して7年になりましたが拙者はようやく夫婦というもののあり方が分かってきました。

それは他人である者どうしが生活を共にする中で何が必要なのかが分かったということです。

それは多くの人が結婚式で戴く言葉である我慢や忍耐などではないのです。
それは何だと思いますか?