やっと体が洗えるぞ!と喜び勇んで服を脱ぎ、シャワーのノズルを探すのだが、ん!?どこにも見当たらない。壁を走るパイプに引っ掛けた衣服やパスポートの入った腹巻をめくって見るがそこにも無い。


幅一メートル位の、少し脇の下を広げると肘が壁に当たってしまう小さな部屋でキョロキョロ部屋中を見回すと、あれ!? 床の近くに蛇口が二つ並んでいるぞ。あれはお湯と水に違いない。
勝手にシャワーだと思い込んでいたが、どうやら見当違いだったようだ。


アフガニスタンもアジアの一国である。しゃがんで洗う入浴スタイルなのだ。

僕はといえば、昔から銭湯大好きの日本人である。問題など無い!としゃがみこんだのだが



・・・椅子が無い。



それほど汚い印象はないが、少しヌルヌルしているので直接そのまま尻を床につけるのは嫌だった。
せっかくサッパリしに来たのだし。


持ってきたホテルの手桶は体にお湯を掛けるのに使うし、しょうがないので昔懐かしのウ○コ座りで体を洗う事にしよう、と思い至った。
多分、他の人達もそうやっているはずある。まるでサドルの無い自転車に乗るような気分である。しかし、歩くよりはマシ。体が汚れたままよりは全然マシなのだ。


早速二つ並んだ蛇口をいじくってみる。一つは冷たい水で、一つは煮えたぎった熱湯だった。見た目はポンプのような形をしている。


アフガン製の蛇口
は捻るのではなく、押すとお湯が出るタイプだった。今でも日本の地方の銭湯でたまに見かけるタイプである。


そして武骨なアフガン製の蛇口は微調整が効かず、チョロチョロとお湯を出そうと力を加減しても、ある一定の力が加わるとイキナリ全開でお湯を放出するという、竹を割ったような、ある意味気持ちのいい性質のシロモノだった。


先に手桶には水を溜めてからお湯を出すのだが、それでも跳ね飛ぶ熱湯の飛沫がウ○コ座りの僕の内腿にビシビシと掛かり、狭くて横に逃げられない僕はマトリックスの名シーンのように何度も後ろにのけぞっていた。
他の方々がどのようにしてこの暴れ馬のような蛇口を手なずけているのか非常に興味の湧くところである。


いい湯加減のお湯を手桶に溜めるのに一苦労ではあるが、やはり久し振りのお湯は気持ちがいい。皮膚の下の神経が躍動しているのではと思えるほど鳥肌寸前の心地よさが体を走る。なんて贅沢な、砂漠で浴びるお湯の快楽にウットリとして体をこする事も忘れお湯を浴びた。ジャバーン。


分厚い膜のように体に張り付いた、油や汚れが溶けていくのが皮膚感覚で分かるような気さえする。ジャバーン。


思い返せば、一ヶ月前にインドの山奥で入ったテンプル温泉が最後のお湯浴びであった。一ヶ月振りのお湯浴び。日本人なら分かるはずである。ザッパーン。



たっぷりとお湯を浴び、汚れを削り取るように体を洗う為に数十回のけぞった後、僕は扉を開けて狭い個室から廊下に出た。

扉をくぐれば自然と気が引き締まる。明かり取りの窓が多い路地裏の風呂屋が、ロウソクの灯りを灯していた。

もうすっかり夜なのだ。



廊下には太ったヒゲの紳士が順番待ちをしていたので、僕は開いた扉を指差して「そこ、空いたよ。」とばかりに微笑んだ。



風呂屋を出ると路地は真っ暗になっていた。立ち止まって一緒に出てきた湯気に巻かれながら帰る方向を見ると、大きな通りから外灯の灯りがうっすらと差し込んでいる。

かろうじて足元を照らしてくれていた灯りに向かって歩き出し、湯気の塊を抜け出すとひんやりとした夜の空気が薄い民族衣装を通り抜けて体を撫ぜた。僕はブルッと身震いを一つして足早にホテルへと歩を進めた。


とてつもなく明るい外灯が大きな通りの交差点に灯っており、その下を歩く人は皆、足早に急いでいる様だった。


夜なのだ。アフガンの朝は早い。夜もまた早いのだ。