訪ねてきた三人の男はこの部屋の住人と頬をすり合わせて挨拶をした後、部屋に入り勧められるままに腰をおろした。



お茶が出されると、一口グラスに口をつけてから、ゆっくりとした喋り方で僕にキチンとしたイスラム式の挨拶をした。


僕に向けられる好奇の視線は気になったが、僕の彼らに対する第一印象はとても良かった。


落ち着いた話し方や、ガサツな所が少しも感じられない立ち居振る舞いに、僕の理解できる範囲の教養や、抑制とか、知性のようなものが感じられたからだ。


極端な言い方をすれば、会話を交わす前からこちらのことを理解する準備が整っているような、懐の広さを感じたからだ。

   

  日本にある外国大使館の職員みたいだな。


そんな印象を持ったまま、僕は片言の言葉を使って話を始めた。


とはいえ知っている限りの単語、単語をつなげるだけなので、相手の様子を見ながらの言いっぱなしになってしまう。

相手が喋りたそうに見えたら黙って相手に任すのだ。


僕の横では、僕の友人たちの中で最年長のママディオノスが僕の言葉足らなさを補うかのように、僕が一言、一言、と話す後から何言かを付け足して三人の男たちに声を掛けてくれる。


どうやら、ママディオノスは「彼は僕らの友達で・・・」「彼はとても良い人物で・・・」

完全には聞き取れないが、どうやら僕のことを、とても良く説明してくれているらしかった。


それはうれしいのだが、微妙に必死さを感じるのはなぜだろうか?


三人の男が別れの挨拶を済ませて部屋から出て行ったあと、友人たちは胸を撫で下ろして僕に事情を話してくれたので、やっとその訳が分かった。