シャマミの目線

 

    *シャマミの目線と同じ高さから撮影

 

手招きするバーミヤンの友人達に誘われるまま穴の中へ。

中は想像していたよりも広々とした空間になっていて、渓谷の壁面を削って造られた階段があった。


足を乗せるとジャリジャリと細かい砂となってこぼれ落ちる。かなり柔らかい地質のようだ。


これほど大きな遺跡を造るのには最適だったのではないだろうか?なぜならバーミヤン遺跡はその殆どが渓谷の壁面を削って造られているからだ。

 

 

階段を少し上ると小さな部屋に出た。

部屋の壁面にはハッキリとした彩りを残している壁画の一部が見られた。が、ごく一部である。


壁画の多くは剥がされて売られてしまったのだとママディオノスが少し申し訳なさそうに言う。


彼のその様子は、仏教徒としての私に気を使ってくれているようだった。

いまや私は彼らの好意に甘えに甘えて安心していた。それというのも彼らの態度がとても紳士的であり、あまりに邪気のないものだったからだ。


彼ら三人からはアフガン人を代表して遠来よりの客人をもてなしている。というような、ある種の必死さのようなものがビシビシと私に伝わってきていた。言葉がつたない分余計に空気を感じたのかもしれない。


アフガニスタンで出会った人達と接する度に感じたその繊細さや心配りは、旅行中を通してアフガン各地にて感じるものだった。時にバスの同乗者から、時に店番の少年から、時に検問中のタリバンから・・・。

 

 

とは言え彼らは彼らで今でも農作物の出来が悪いと遺跡近辺を掘り起こして売れそうなものを探すのだと言う。

三人の口ぶりから結構な収穫を地面の下から得ているらしかった。


アジャーブが「今年はこれが出たよ。」といくつかのトンボ玉(ガラス工芸品)を見せてくれる。


私は鈍い色を放つそのトンボ玉を観察しながら、バンコクの本屋で立ち読みした英語版トンボ玉カタログの中の一つ
*$5000-アフガニスタン出土*を思い出し、カーペット以外にトンボ玉も買って帰ろうなどと考えを巡らし皮算用にも余念がないのだった。

 

 

さらに階段を上り、遺跡内をうろつく。

中は人の通れるくらいの穴がたくさんあり、私は友人達の後について幾つもの穴をくぐり抜け、幾つもの亀裂を飛び越えた。


まるで迷路のような遺跡内を歩いているとすぐに帰り道が分からなくなる。一人で来ていたら帰れなくなるところだった。


時々アジャーブが崩れかけた場所で立ち止まっては手を貸してくれる。気をつけて見ないと見つからないその亀裂を踏み抜くとそのまま十数メートル下に落下することになる。

静かに、ゆっくり、ゆっくり、という友人達の声に合わせてそろりと足を運ぶのだった。

 

 

さらに階段を上り、この辺りの最上階の四階へ。

薄暗い穴の中から出てきて、ザックリと顔を削り取られたシャマミの頭上に辿り着いた。

なにもここまで。と思ってしまうくらい綺麗に頭が削り取られていた。

しかし不思議と仏像は威厳を保っている。

自分の目線を遠い昔にあったはずのシャマミの目線に合わせてみると、その顔の見つめる先には緑あふれるバーミヤン渓谷が広がっているのだった。