(*カブール中心部近くにあった可愛らしいモスク)

アフガニスタンカーペットを日本に持ち帰って大儲け
しよう。という単純な思いつきから始まった旅だけど
コツコツ準備して一つ一つコマを進めていくうちに、
辿り着きました。アフガニスタン首都カブールです。

朝、目が覚めると、隣のベッドではアレンがカメラの
機材をチェックしていた。私の持つツーリストヴィザ
は二週間有効なのだが、アレンの持つジャーナリスト
ヴィザは有効期限が一週間しかないので、彼は今日か
ら写真を撮りまくるつもりらしい。そして予定してい
る写真が2日以内に撮れたら、私と一緒にバーミヤン
遺跡を見に行きたいと彼は言った。

どうやらこの仏教遺跡はヨーロッパではあまり紹介さ
れていないらしく、アレンは私の聞き知ったバーミヤ
ン遺跡の話を珍しそうに聞き入っていた。

「イスラム以前の仏教遺跡がこのイスラム原理主義の
国にのこされているなんて!驚きだね。」

私はカブール市内を見て歩くことにした。大通りに面
したホテルのベランダから外に顔を出すと、昨夜とはう
って変わって朝のカブール市内は喧騒に包まれていた。

時代に支配され続けてきたこの土地で人は常に生き延びてきた。

歌や音楽、踊りに映画に本やテレビに至るまで、およそ
遊びというものが禁止されていた当時のアフガニスタン
で生きる人々の生活に興味深々だった私は実際にアフガ
ニスタンの人々の暮らし振りをこの目で見るのをとても
楽しみにしていたのだ。

日本の生活とはかけ離れた状況との遭遇に。

この国に建てられたロシア様式の建造物の写真を撮りに
きたアレンは「昼には戻るので良かったら昼食を一緒に
どうだ?」と言って早速出かけていった。
昼食の誘いに快諾の返事をしたついでに、「街中で写真
なんか撮ってたらまずいんじゃないのか?」

(当時写真の所持と撮影は禁止されていた)

と軽口を叩いた私にアレンはこう返した。

「何のために君の二週間ヴィザの倍額を払ってより短い
一週間のヴィザを取ったと思うんだい。それにプロには
常にリスクがつきまとうもんさ
。」

私は、はるばるバルト三国のラトヴィアから、自分の事
を雑誌社や新聞社に売り込むためにアフガニスタンまで
写真を撮りにきたフリージャーナリストに尊敬の眼差し
を向けたのだった。