何かのテーマについて話し合っている際に、紋所のように「それは人によって違う」「考え方は色々」と切り上げられるケースがあります。方針や好みが個々で分かれるのは当たり前ですが、そこで議論を終わりにせず、まだまだ先へ掘り下げることは出来るはずです。

 

「いくらくらいですかね?」という質問に「ピンキリですね」と返されるのもよく耳にします。答えたくないのかも知れませんが、ピンキリだというのなら、ピンとキリの値段くらいは教えてほしいものです。

 

で、最初の話ですが、人によって違うというのなら、この人の場合はこういう体質でだとか、こういう分野が得意だからこの方法が合ってるだとか、いくらでも場合分けをして、その枝分かれしたケースで話を進めればいいわけです。

 

「考え方は色々」とは、もうコミュニケーションの放棄です。要は私とあなたは違うということを遠回しに言っているまでです。その考え方にどのようにして至ったのか。その背景は。これをすることによってどのような利点があるのか。また悪い点は何なのか。と、立場は違えど、いくらでもシンパシーを得られる話し合いは出来るのです。

 

与党と野党の討論で思うのですが、与党のすることになんでも噛み付くというのはいただけません。考え方が一致する点もあるからです。それに、もし野党が政権を奪取したときに同じようなことをされたら相当鬱陶しいはずです。政策の内容だけで国民の支持を得られるほど甘くはありません。賛同できるところは素直に賛成し、おかしなところはとことん責任を追及すべきです。

 

一般人同士の喧嘩でも、ハラハラと恐怖や嫌悪感しか沸かないものと、丁々発止の胸のすくようなやり取りとがあるはずです。前者の醜い争いでは浮動票は野党へと流れないでしょう。後者なら大いに野党が躍進する可能性があります。

 

西成活裕先生は「頭の良さとは思考体力のことだ」と発言しています。思考体力は全部で6つに分かれるのですが、僕がこの中でも特に重要だと思うのが、多段思考力です。筋道をたどって何段にも思考の階段を登っていくということですが、これに慣れていないと、「そんなことにこだわってどうするの?」と思ってしまいます。複雑な処理をするには絶対に必要な能力です。粘り強く考える、言わば思考のスタミナですね。

 

話は変わりますが、この世がバーチャルだったらと空想することがあります。自分たちはプレイヤーなわけですが、ゲームのように障害がそこかしこに用意されています。クリアできないようなものはクソゲーですが、簡単すぎるのもつまらないはずです。難所を越えるためにアイテムを揃えたり街の住人から情報を集めたりして次のステージへ進む。

 

なぜこんな話をしたかというと、人生の各ステージをクリアする過程で、集めるそのアイテムや情報たちにまがい物が多く含まれているのではないかと言いたかったからです。たとえば、丈夫な体を持たなければラスボスのシーンまでたどり着けないと思いますが、その健康情報の多くが嘘であったり、お金と時間の浪費であったりします。

 

知恵を身に着けるのも、冒険を優位に進めるためには必須ですが、その獲得方法をめぐって錯乱情報がはびこっていたりするのがリアル世界です。なぜ、まっすぐに近道する方法だけが残らずにそういうごまかしや偽情報も紛れ込むのかと考えあぐねたところ、自分がゲームのクリエイターなら、そういうファクターを盛り込むだろうなとの結論に至りました。

 

そうしたモノにごまかされずに着実に道を進むためには、心の声に聞くしかないというのが僕の答えです。それはゲームだろうと現実世界だろうと共通の攻略法だろうと思っています。「自分のお金が増えて出世するためには~」というのは心の声とは言えません。「この町が住みやすくなるためには~」でより高いステージへ。「この世界がよくなるためには~」を行動指針にすれば、あなたはその瞬間から勇者です。

 

 

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