自分の記録のためのブログというよりは日記。自分の今の状態を記録するための手段としての記録のブログ

自分の記録のためのブログというよりは日記。自分の今の状態を記録するための手段としての記録のブログ

普段なかなか自分の状態を書き記す機会がないので出来る時に記録しておくための手段としてのブログ。
後に役立つかはわからないけれど自分の状態を記録して説明出来るようにしておくための日記代わりのブログ

Amebaでブログを始めよう!

36年


36年経って


それでもまるで昨日の事のように

今現在起こっている事のように


鮮明に

ありありと見えてくる


その情景に蓋をしてくれている

チャンくんとてつおちゃん


それでも今日は

憤怒の感情が湧き出してくる


そう


私みたいな症状を持つ生き物は

健常者の行く教育機関に関わるべきではなかった。

承知している。


後の祭り。


まさに

今の私だ。


自分が障害者なんて夢にも思わなかった。


治療法も症状を緩和する薬もない。


別に生命に関わる障害でもない


故にこの障害の研究も遅々として進まないのであろう。


きっとずっと

私と関わったクラスメイトの方々は

私を異質に感じていたであろう。


故にずっと

私を苦しめいじめ続ける行為に及んだのであろう。


理解しよう。

理解している。


私自信が今その自分自身に苦しめいじめられ続けている。


ただ

あの時点で中学に通い続ける。

そんな選択肢しかなかったこと。

いじめの主導者のクラスメイトの男子学生をどんな形にしろ

告発する手立てがなかったこと。

それが本当に悔しく

悔しいなどと1言では申し上げられない。


そんな気持ちを抱えながら

もう36年。


私の障害の症状は

先天的に生まれ持った物+

後天的な外的刺激などから

誘発されて悪化するケースが少なくはないようだ。


まさに

私はそのケースである。


あの中学であのクラスメイト達に

会うまでは

この症状は鳴りを潜めてくれていたのだから。


もしこうだったら

あの時にこうしていたら

そんな考え方は私が1番好まぬ考えだ。

私の生まれてきた失態を他所様のせいにはしたくないからだ。


ただ

やはり思い考えてしまう。


なぜ私はあの中学に通わざるを得なかったのであろうかと。

なぜ他の選択肢を選べなかったのであろう。


無学...

だったから

学力はいわゆる人並み以上にあったと自負しているが

私にもうひと欠片の経験値の面での学と称して良いのかそんな物があったならば。


そう思ってしまう。


後悔...自責の念こんな自分自身に憤りを感じながら

ただひたすら生きている。


私は人ではない生き物


自分を人だと人間だと称する

それは私にとって耐え難い表現で


人...いわゆる普通に人間の形で生まれてきてはいる。


見えない1部分が欠落している。

いや、欠落しているというよりは

無で生まれてきている。


そんな私のような生き物が

傍から見れば

どこが障害者だと思うであろう。


なんともわかりにくく難解な形で生まれてきた自分自信を疎み家族や今まで私と関わって下さった数少ない善良な心を持つ清らかな方々に感謝するのは当たり前で同時に本当に心から申し訳なく思う。


どこかの茂みもしくは薄暗い水辺辺りで潜んでいる両生類

そんな生き物よりも劣る


それが私の生まれ持つ脳。

脳が発育する第1段階で

私の脳は止まったままらしい。

なのにその回りの組織はあっという間に発育した。

そんな状態で生まれてしまった。

そう

私は異型の脳を持つ生き物だ。


だから自分を人間だと称する自信もなく人間だと称することは世間様に向けては恐れ多く感じてしまう。


この世に生を受けても何の生産性もない自分が出来ること


それはこの先一切私自信のDNAを残さずこの世を去ること。

私の障害が遺伝性疾患だと知ったその日から


そう思い願いながら今日も生きている。


毎日そんな憤怒と懺悔の感情思いを

チャンくんの作品を観て

てつおちゃんやBTS防弾少年団の作品を観て聴いて生きている。


この皆様の作品存在が私の薄汚れた感情に蓋をしてくれている。


だからチャンくん、てつおちゃんBTSの皆様には本当に感謝し

彼らが心を傷めることのないように

穏やかで健やかな人生を送れますように

心からそう願っている。

 

私が昔から好きだった中森明菜ちゃん

明菜ちゃんが本当にかわいそうだったから

私の大好きで心から応援している方々

がこれ以上辛い思いをしませんように。


辛い思いは異型の私が全て引き受けるので。


そう思い願いながら明日も生きていく。


神様とやらがいるのであれば

その方が決めたであろう

天命とやらが来るその日まで


生きていくのが私の罪と罰だと思うから。