生きることは墓地が教えてくれます。

パワハラ被害で休職中。

こうした休みのときこそ、自分自身を振り返ったり、今後のことを考えたりします。

人生80年。

60歳定年もなくなって、最期まで働く人生。

死ぬまで働きつづけるのか。

こうやって休憩をとりながら働くのか。

なんのために生きるのか。

哲学したいとき、私は墓地に行きます。

墓地は見晴らしが良いところにあるので、景色をながめるだけで心がすがすがしくなります。

そして墓石には、それぞれ人生が刻まれています。

新しいお墓には、メッセージが刻まれていて、読んでみると心がうたれます。

戒名を見ると、その人がどんな人だったか創造できます。

小高い丘にある霊園で、お墓に囲まれて静かな時間を過ごす。

生きることは、一人で長い旅路を歩くようなものです。

人生は一度きりしかない。

だから、今を生きる。

何をして生きるのか。

やりたいこと、好きなこと。

ライフワークと呼べるもの。

なんのために生きるのか。

それは、自分にしかできないことをするため。

そのためには、自分らしく生きること。

自分とはなにか。

その答えは、

これまで歩んできた道のりを振り返るしかありません。

私は何に心を燃やしてきたか。

私はどんな環境で育まれてきたか。

私らしく生きるとは、過去から無限の可能性を拡げることだからです。
パワハラを受けて求職中、人生は万事が「塞翁が馬」ですね。

私の娘は自閉症児です。地域の小学校に通いながら、発達支援センターを利用しています。

そんな彼女の課題は、対人関係。

幼稚園のころから友だちができなくて、小学2年生になった今も、友だちと遊ぶことができていませんでした。

その原因のひとつに、幼稚園児の弟クンの存在があります。

娘は自分が遊びに行っている間に、弟が部屋で何をしてるのかわからないのが不安だったのでした。

子ども部屋に並べた自分の作品を、弟に動かされることにがまんできなかったのです。

それで放課後は弟を監視するため、一緒に家にいて、外へ遊びに行けなかったのでした。


ところが私が休職して家にいるので、弟とリビングで遊ぶようになりました。


すると娘は「弟はパパとリビングで遊んでる」とわかって安心できたのです。

学校から帰ってきて宿題を終えると、友だちが集まっている場所へ出かけるようになったのでした。

といっても、みんなが今日はどこで遊ぶのかを話してるのをそばで聞いてきただけなのでしょう。

「だれもいなかったー」と言って帰ってくることもあります。

でも私は、娘が友だちと遊びたいと思って、自分の気持ちに正直に行動できたことがうれしいのです。

つい最近まで、友だちと遊びたいと思っても、実際に行動にできなかった子だったので。

幸せに生きるには、自分の気持ちに正直になることです。

自分が楽しいこと、好きなこと、したいことを選ぶことです。

今まではその勇気がなかったのですが、私の休職がきっかけとなって、第一歩をふみだすことができたのでした。



先日、そんな娘から「くもんやりたい」と相談。

理由を聞いてみると、「友だちに誘われたから。友だちがやってるからやりたい」

娘は勉強はできているので必要ないと思ってました。

むしろ、宿題をちゃんとしなきゃとプレッシャーになるのではと心配して、勉強の習い事はしてきませんでした。

でも、友だちと一緒にいたいと思えるようになったことは、大きな成長です。

とりあえず、次の条件を出してオッケーしました。

1つ。学校やくもんの勉強が大変になってきて困ったときは、ちゃんと「困ってる」と言うこと。つらいときは休むこと。

2つ。くもんの勉強は、その時その人に合った勉強をしているので、友だちと違う勉強をしていても良いこと。

3つ。宿題ができなかったときは、無理しないで、できなかったことを先生に伝えること。そして娘の勉強ペースを知ってもらうこと。

娘は出された宿題は全部終わらせようとします。

けれども3年生になったら授業時間は増えますし、宿題もそう。

勉強の内容も、今までのように、ただ覚えればいいのではなくなるでしょう。

ただ、自分の気持ちに正直に生きていけたら、娘は幸せです。

私もある意味で、自分の気持ちに正直になって、つぶされる前に休職しましたから。