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昨日の日本シリーズ盛り上がりましたねにこっ


楽天おめでとうございますマジキチスマイルダウンダウン



 ◆コナミ日本シリーズ2013第7戦 楽天3―0巨人(3日・Kスタ宮城) 楽天が球団創設9年目で初の日本一。指揮官として4度目の挑戦で悲願を達成した星野監督が、地元・仙台で宙に舞った。

 やっと心の底から笑えた。星野監督は9度、雨が舞う杜(もり)の都の夜空に舞った。

 「もう、最高です! 考えられない継投だったけど、どうしたって田中が『行く!』と言うので。彼がいたからこそ、日本シリーズに出れたのだから、最後はアイツがふさわしいだろう、と託した」

 先発・美馬から則本、田中とつないで巨人を倒し、手にした日本一。66歳での日本一達成は史上最高齢。闘将の目から自然と涙がこぼれた。

 “4度目の正直”だった。中日、阪神監督時代に計3度、日本シリーズに挑んだが、88年は森キ晶率いる西武、99、03年は王貞治率いるダイエー(現ソフトバンク)と巨人OBが率いるチームにはね返された。さらに、日本代表監督を務めた08年の北京五輪ではメダルなしの4位。「星野仙一は短期決戦に弱い」。屈辱のレッテルまで貼られた中、10年オフに楽天の監督に就任。足掛け3年で弱小チームを立て直した。

 「俺は日本一になれないと言われる。でも(監督で)優勝したチームの歴史を見てみろ。ずっと最下位にいたチームが優勝して、日本シリーズに行けば相手は横綱。横綱に4勝するのは難しかった。でも、今年は(過去3回とは戦力が)違う」と臨んだ頂上決戦。その相手は巨人だった。

 今から45年前、1968年秋だった。当時、明大のエースだった星野監督は巨人から誘われたが、その巨人が実際に1位指名したのが神奈川・武相高の島野修投手だった。その瞬間から「打倒・巨人」の人生は始まった。現役時代は目をつり上げてONらに挑み、指揮官としても巨人相手に闘志の炎を燃やした。

 05年に巨人が監督候補の一人に挙げた時も阪神のSDとして残留を選んだ。「永遠のライバル、ジャイアンツをしっかりと胸を借り、頭を下げ、やっつけます」。人生を捧げた夢をこの仙台で実現させた。

 第4戦の試合前、恩師の訃報が舞い込んだ。巨人V9を導いた川上哲治さんが亡くなった。「(日本一を)報告できんかった」。川上さんから学んだことは多かった。NHKの解説者として同じ時間を過ごし、運転手も務めた。勧められた「三国志」「韓非子」といった書物を読みあさり、群雄割拠の戦国時代の兵法に触れた。「三国志」で度量の広さと義を重んじる曹操の姿は、自分が目指す監督に通じるものがあった。「川上のオヤジからは、勝負に対する厳しさを学んだ。俺は39歳で監督になって、とにかく勉強した」。その一つが投手起用だった。

 毎晩、翌日の試合の継投をシミュレーションしながら寝床に就く。これが日課だった。考えたことはテーブルと枕元に置いてあるメモにペンを走らせた。日本シリーズ中も同じだった。ラズナーの戦線離脱で守護神が不在。CS最終Sはチーム力の違いで乗り切れたが、総合力の高い巨人には難しい。そこで下した決断は、則本のリリーフ起用だった。

 新人に重要なポストを任せることはギャンブルだったが、自身のポリシーは「迷ったら前へ」。腹をくくって、第5戦の6回から送り込み、延長の末に勝利した。第7戦も再び則本を投入。2イニングを無失点に抑え、最後は田中で。最高の完封リレーを完成させた。

 現役時代に、チームのエースとして巨人のV10を阻止。リーグ優勝を果たしたが、監督で味わう優勝は、また格別の思いだった。その指揮官には一つの考えがある。「もう若い監督がやればいい。オレは誰かに監督を譲りたいと本気で思っている。本気で」。言葉に偽りはないが、一方で常勝集団を作りたいという夢もあり、複数年契約を結んだ。

 「我々は、まだまだジャイアンツより力は落ちるが、選手が7連戦を頭を下げて、最後の最後まで必死に戦ってくれた結果だ」。今度は、一度も成し遂げたことのないリーグ連覇へと向かっていく。




貧打の巨人が心配です



それでは昨日の買取品は・・・・ブランド品、切手の買取でした肉まん


皆様も使用されないものがありましたら是非お持ちくださいね11