ブログネタ:人前で泣く?
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そだな・・・σ(’’??
泣ける人と、泣けない人がいるかな・・・。
生まれた家族の前では、意地でも泣かない。
絶対に泣かない。
弱い女だと思われたくない。
で、相方の前では泣けます^^;
結構、泣きます。
ちなみに相方もよく泣きます(*´艸`)(*´艸`)
ってか、最近、涙もろくてねぇ・・・。
さっきも龍馬伝見て、迂闊にも泣いちまいました・・・。
先週に引き続き、龍馬伝で泣きました・・・。
龍馬以外のストーリーが、ほんと、ツボです(*´艸`)
残念なのは龍馬・・・。なんで・・・、もっと滾らんかい!!
今回は、非常に胸苦しい回でしたね。
武市半平太と平井収二郎・・・。ま、史実は別にして、やっぱり、命が果てるシーンって言うのは、どんな描き方にしろ迫るものがありますよね。
ただ・・、ただ残念なのは、平井収二郎の覚悟がね・・・。拷問を受けたあと、平井と武市が牢獄で再会して、武市が平井に「よく耐えた・・」とのねぎらいの言葉をかけたあと、「これで家に帰れるんですよね?」的な事を吐くんですけど。
これは言わさなきゃいけない台詞だったのだろうかσ(’’??
これを言っちゃ、武士の名折れのような気がするんだけど。
現代社会においては、このくらい安っぽい覚悟であったとしても、全然おかしくはない。むしろ、それを妥当な台詞として捉えられると思うけど・・・。
でも、時は幕末。侍を名乗った以上は、「死」に対する覚悟は、現代社会の比ではないと思うのですよ。
いくら、心の底で「家に帰りたい・・・」と、思ったとしても。それを口にすることは、“恥ずべき行為”とされていたのではないのかなσ(’’??
命かけて事を成す!
これぐらいの覚悟でいたと、思うんだけどな。
竜馬がゆくの中では、たしか、介錯人が怖じ気づいて、平井の首を打ち落とせず骨で止まってしまったのに対し、
「落ち着いて斬れ」と命じたとかなんとか…。
それほど、肝の据わった平井だったはず。
もちろん、竜馬がゆくは「フィクション」と前置きしての歴史小説なので、それが正しいと思っているわけではないけど、
当時の幕末の志士ならば、特に土佐の志士であった平井ならば、そのくらいの肝の据わった覚悟はしていたんじゃないのかなぁ・・・って。
ドラマを盛り上げるために言わせた台詞だとしたら・・・、幕末の志士を甘く見すぎてない?って思ってしまった。
平井の最期を
「死にたくないという現世への未練」ではなく、「藩のために命を捧げる覚悟で臨みながらも、その主たる藩主に命を弄ばれる無念。」という思いをクローズアップさせてあげたかったなぁと、幕末好きなアラフォー女は思ってしまったんだけどね。
ただ、この顛末を「下士の思いの成就」という観点から見てしまうのは危険ですね。
実際、平井は上士ですから。武市も上士ではないが下士でもない。白札という実に曖昧な身分でした。
足軽的な下級武士である下士とは藩の扱いは一線を画していたと思いますよ。
それゆえの以蔵の扱いだと思います。ドラマでは下士の武市が下士の以蔵を操ってしまうと言う、なんとも中途半端な描き方になってしまったゆえ、武市が私利私欲だけで土佐勤皇党を牛耳っていたかのように見えてしまったのが実に残念でした。
武市の思いはそんな安っぽいものじゃない。
ドラマの中で勝が「立場が違えば見方も違う」的なことを言っていたのも、なんだかね・・・。平井を悲劇のヒーローに見せるための介助的台詞にしか聞こえなかったんだなぁ。
だって、「それを言っちゃぁおしまいよ」っていう感じなんだもの。
幕末の志士は、だーれも間違っちゃいない。私利私欲で動いてない限り、誰も間違ってはいない。
龍馬と対峙するポジションの新撰組だって、間違っちゃいない。
佐幕派も攘夷派も、誰もが信念を持って歩を進めていたのなら、誰も間違ってはいないと思う。
どうにもこうにも突き上げてきてしまう「正体不明の情熱」が幕末の動乱の大きな大きな原動力だと思う。
何かを信ずる気持ち。何かを成し遂げる気持ち。何かを欲する気持ち。
それが純粋であればあるほど、あの猛り狂った幕末のうねりを自ら引き起こし、自ら飲み込まれていってしまったんだと思うのです。
いつの世でも「立場が違えば見方も違う」。そりゃそうだ。あらたまって言うべき台詞じゃない。その後に続く言葉が大事なんじゃないのかなσ(’’??
“だから、どうする”。これを考えて行く事が、大事なんだと思うんだけど。どうでしょうね?
龍馬はそれを考えた。だからみんなが龍馬に憧れるんじゃないのかなσ(’’??
そだな・・・σ(’’??
泣ける人と、泣けない人がいるかな・・・。
生まれた家族の前では、意地でも泣かない。
絶対に泣かない。
弱い女だと思われたくない。
で、相方の前では泣けます^^;
結構、泣きます。
ちなみに相方もよく泣きます(*´艸`)(*´艸`)
ってか、最近、涙もろくてねぇ・・・。
さっきも龍馬伝見て、迂闊にも泣いちまいました・・・。
先週に引き続き、龍馬伝で泣きました・・・。
龍馬以外のストーリーが、ほんと、ツボです(*´艸`)
残念なのは龍馬・・・。なんで・・・、もっと滾らんかい!!
今回は、非常に胸苦しい回でしたね。
武市半平太と平井収二郎・・・。ま、史実は別にして、やっぱり、命が果てるシーンって言うのは、どんな描き方にしろ迫るものがありますよね。
ただ・・、ただ残念なのは、平井収二郎の覚悟がね・・・。拷問を受けたあと、平井と武市が牢獄で再会して、武市が平井に「よく耐えた・・」とのねぎらいの言葉をかけたあと、「これで家に帰れるんですよね?」的な事を吐くんですけど。
これは言わさなきゃいけない台詞だったのだろうかσ(’’??
これを言っちゃ、武士の名折れのような気がするんだけど。
現代社会においては、このくらい安っぽい覚悟であったとしても、全然おかしくはない。むしろ、それを妥当な台詞として捉えられると思うけど・・・。
でも、時は幕末。侍を名乗った以上は、「死」に対する覚悟は、現代社会の比ではないと思うのですよ。
いくら、心の底で「家に帰りたい・・・」と、思ったとしても。それを口にすることは、“恥ずべき行為”とされていたのではないのかなσ(’’??
命かけて事を成す!
これぐらいの覚悟でいたと、思うんだけどな。
竜馬がゆくの中では、たしか、介錯人が怖じ気づいて、平井の首を打ち落とせず骨で止まってしまったのに対し、
「落ち着いて斬れ」と命じたとかなんとか…。
それほど、肝の据わった平井だったはず。
もちろん、竜馬がゆくは「フィクション」と前置きしての歴史小説なので、それが正しいと思っているわけではないけど、
当時の幕末の志士ならば、特に土佐の志士であった平井ならば、そのくらいの肝の据わった覚悟はしていたんじゃないのかなぁ・・・って。
ドラマを盛り上げるために言わせた台詞だとしたら・・・、幕末の志士を甘く見すぎてない?って思ってしまった。
平井の最期を
「死にたくないという現世への未練」ではなく、「藩のために命を捧げる覚悟で臨みながらも、その主たる藩主に命を弄ばれる無念。」という思いをクローズアップさせてあげたかったなぁと、幕末好きなアラフォー女は思ってしまったんだけどね。
ただ、この顛末を「下士の思いの成就」という観点から見てしまうのは危険ですね。
実際、平井は上士ですから。武市も上士ではないが下士でもない。白札という実に曖昧な身分でした。
足軽的な下級武士である下士とは藩の扱いは一線を画していたと思いますよ。
それゆえの以蔵の扱いだと思います。ドラマでは下士の武市が下士の以蔵を操ってしまうと言う、なんとも中途半端な描き方になってしまったゆえ、武市が私利私欲だけで土佐勤皇党を牛耳っていたかのように見えてしまったのが実に残念でした。
武市の思いはそんな安っぽいものじゃない。
ドラマの中で勝が「立場が違えば見方も違う」的なことを言っていたのも、なんだかね・・・。平井を悲劇のヒーローに見せるための介助的台詞にしか聞こえなかったんだなぁ。
だって、「それを言っちゃぁおしまいよ」っていう感じなんだもの。
幕末の志士は、だーれも間違っちゃいない。私利私欲で動いてない限り、誰も間違ってはいない。
龍馬と対峙するポジションの新撰組だって、間違っちゃいない。
佐幕派も攘夷派も、誰もが信念を持って歩を進めていたのなら、誰も間違ってはいないと思う。
どうにもこうにも突き上げてきてしまう「正体不明の情熱」が幕末の動乱の大きな大きな原動力だと思う。
何かを信ずる気持ち。何かを成し遂げる気持ち。何かを欲する気持ち。
それが純粋であればあるほど、あの猛り狂った幕末のうねりを自ら引き起こし、自ら飲み込まれていってしまったんだと思うのです。
いつの世でも「立場が違えば見方も違う」。そりゃそうだ。あらたまって言うべき台詞じゃない。その後に続く言葉が大事なんじゃないのかなσ(’’??
“だから、どうする”。これを考えて行く事が、大事なんだと思うんだけど。どうでしょうね?
龍馬はそれを考えた。だからみんなが龍馬に憧れるんじゃないのかなσ(’’??