タイトル: 中国西南紀行(4)・・・「火把節」

作 者: 阿 燕(A Yan

日 時 8月14日(金曜日)

場 所 石林彜族自治県


8月14日(金曜日)のPM1:00頃、私と天海自由創は、「石林彜族自治県」に到着しました。

同列車の乗客は私達を石林風景区のホテルまで送ってくれました。


天海浪漫のブログ-石林ホテル


ホテルに荷物を置いてすぐお祭りの現場へ駆けつけました。


午後は「戦牛」(dou niou)があり、夜は「火把節」(huo ba jie)になります。


お祭りの場所が分からなくて、途中何度も尋ねました。

彜族(yi zu)の方はとてもご親切ですが、回答はとても微妙でした。

「すぐそこにある。」

「坂道上がったすぐ。」

「左」、「右」、「あと〇〇メートル」という言葉を一切使いません。20分程歩いてもお祭り場所を見つからなくて再度尋ねました。

「あとどの位かかりますか?」と聞くと、

「遠くもない近くもない」と彜族の女性が笑顔で答えてくれました・・・答えてないのと同じでした。


仕方がなく、不安に思いながら人流に沿って前へ進みました・・・


探しながら40分かかってようやくお祭りの現場に辿り着きました。


天海浪漫のブログ-お祭り現場近く

「戦牛」はとても壮絶でした。負けた牛は全ての怒りを人間にぶつけ、叫びながら一列目の観客席に向かって跳び上がりました!

天海浪漫のブログ-戦牛


一列目の観客は先まで負けて牛を嘲笑していましたが、今度負けた牛がライオンのように跳び上がると、観客は牛より更に大きな悲鳴を出しました!

危機一髪でした!!

観客は怪我をしたかどうかは分かりませんが、安全対策を整っていない為、私はすぐ自由創を連れて現場から去りました。


その後、彜族の民族舞踊を観賞しました。


天海浪漫のブログ-民族舞踊


中国の大都市では男性に「先生」(xian sheng)敬称して、女性は「小姐」(xiao jie)と敬称します。

一方、彜族では女性は「阿詩瑪」(a shi ma)と敬称して、男性は「阿黒哥」(a hei ge)と敬称します。

「阿詩瑪」と「阿黒哥」は彜族の物語の主人公であり、彜族の方の憧れの存在でもあります。


夜、「火把節」を見に行きました。


空が暗くなったばかり時から、街中「火の束」を持つ人があっちこっちに現れました。

子供大人,男女老若,地元の方観光客,皆が火の束を持って振り回しながら「中央広場」へ進んで行く・・・


私と天海自由創は人流に沿って振り回される火の束を避けながらドキドキしながら前に進んでいます。


途中いくつのところに構火を作られて、彜族の方や漢族の方や及び他の少数民族の方が構火を囲んで彜族舞踊を踊っています・・・私と天海自由創も思わず皆さんと一緒に踊りました・・・


天海浪漫のブログ-火把節

構火を燃え尽くす後、両手に満いっぱい炭をつけて、通行人の顔や体に塗る事も「火把節」の不可欠の一節であります。

塗られても怒ってはいけません、それは幸せの象徴とも言われています。


以前、「西双版納」(xi shuang ban na)に行った時、西双版納の「潑水節」を参加したことがあります。

街中の人がお互いに水をかけています、カメラを心配している私があるお店へ避難に行きました。避難をしているお店の中で思わず後ろからお店の人に水をかけられました!

それも雲南省の風習の一つです。


「火把節」も「潑水節」に似ているところがあります。

目立つ人こそ黒く塗らされやすい。

私は天海自由創を守りながら懸命に逃げても免れることができなかった!


中央広場はある5のホテルの前にあります。

多くの方がホテルへ避難しようと思っていましたが、厳重な警備で入れませんでした。

私もそちらへ避難するつもりで、天海自由創とホテルの扉を叩きました。

警備員は「宿泊のお客様でしょうか?」と尋ねられましたが、私は英語で「CAN YOU HELP ME?」と警備員に尋ねました。

警備員は私が外国人と思ってとても親切で避難をさせてくれました・・・


私は半分の顔が黒く塗らされた為、ホテルに入ると皆に笑われました・・・


天海浪漫のブログ-ホテルに避難

「火把節」は私と天海自由創とも人生の初経験であり、とても刺激がある体験でした・・・


翌日、私と天海自由創は次の町へ移動しました・・・





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タイトル: 中国西南紀行(3)・・・「日本人の先祖は中国の〇〇民族でしょうか?」

作 者: 阿 燕(A Yan

日 時 8月14日(金曜日)

場 所: 「石林」へ行く途中

 


 石林へ行き途中、頭の中にある事をずっと考えていました。

 日本人の先祖はどの民族でしょうか?

「日本人の先祖はモンゴル人である」という多数説があります。貴方はどう思いますか?

私は14年前からその説について疑問を持ちました。


1995年私は初めて雲南省に尋ねた時、「西双版納」(xi shuang ban na)に行きました。

西双版納で「哈尼族」(ha ni zu の方と出会いました。

驚いたのは、哈尼族の言葉は日本語にそっくりで、話していることを全てカタカナで記入することができます!まるで意味不明なカタカナを喋っているようです。

更に驚いたのは、哈尼族の民族衣装も日本の着物によく似ています。哈尼族女性の髪型や、持っている「和紙の傘」等は日本人と変わらなくて・・・後ろ姿から見ると「京都の芸妓さん」にしか思わない。

哈尼族の方自身も「哈尼族は日本人の先祖である」と思っているようです。


日本人の本当の先祖はどの民族でしょうか?哈尼族であるかどうかを検証したいのですが、検証する方法が分かりませんので、何もすることができませんでした。しかし、その疑問は14年間ずっと私の頭に残ったままです。


天海浪漫のブログ-長距離列車 広州→昆明



 今回偶々列車で又哈尼族の青年と出会いました、私はその疑問を哈尼族青年に打ち明けました。

その哈尼族青年も哈尼族は日本人の先祖である事を確信しています。


更に不思議なのは、数日後私は「納西族」(na xi zu の方と出会いました。

納西族の言葉も日本語にそっくりで、全ての言葉をカタカナで記入することができます。

納西族の方の姓が「和」(he)というのが殆どです。その原因で「納西族」は「大和民族」(da he min zu)ともいいます!


また、納西族の方も「納西族は日本人の先祖である」と確信しています。


私は納西族の方に尋ねました「哈尼族と納西族はどちらの民族が日本人の先祖と思っていますか?」

納西族の方のお答えは予想外でした。

「日本人の先祖は一つの民族に限られなくて、哈尼族も納西族も日本人の先祖でしょう!」

とても納得ができるお答えです。


そのようなお考えなら、「モンゴル人」も日本人先祖の一つではないかと私が思います。


但し、中国の雲南省にも「日本人の先祖がいる事」を日本人の口から直接聞いたことはありません・・・



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タイトル: 中国西南紀行(2)・・・「意外の決断」

作 者: 阿 燕(A Yan

日 時 8月13日(木曜日)

場 所: 「百色」へ行く途中



 私は14日(金曜日)のAM6:00頃広西壮族自治区の「百色市」に到着する予定でしたが、列車内の意外なでき事で、私は「百色市」に行きませんでした。


 8月13日、私は列車内で漫遊している時、3名の青年と出会いました。

 一人は雲南省の「彜族(yi zu)青年」、一人は雲南省の「哈尼族(ha ni zu)青年」、もう一人は広西壮族自治区の「漢族青年」でした。

 彼らは席がない為、車両と車両の接続の所に立っていました。

 私は彼らに声をかけました。自分が百色市に行くことを教えました。

 彜族青年は私に言いました、「明日8月14日、旧暦6月24日には私達彜族の一年一度の盛大なお祭り――火把節(huo ba jie)である。とても賑やかですよ!見に行かないと・・・」

 え~お祭り?そんなに偶然な事があるの?!

 私は興味津々で彼に何処で見るのかと聞きました。

 彼が雲南省にはいくつの彜族の村があって、「石林」という彜族自治県でも「火把節」を見れますと答えました。


 「石林」は「百色」より西の方向にあります、百色駅から列車で7時間をかかります。ちょうど私が乗っている列車が「石林駅」にも止ります。行くと思えば行けないではない・・・少数民族の文化にとても興味がある私は心が動き始めました・・・


 彼らに詳しいお話を聞きたい為、私はレストラン車両で3名の青年たちに夕食を招待しました。

 彼らは既に6時間位立ったままでしたので、食事よりも座れる席があることを何よりも喜びました。

 夕食後列車が更に混んできまして、彼らにそのまま帰させても車両と車両の間の立つスペースもなくなったと思います。翌日朝まで立たせるとあまりにも可哀そうです。

 レストラン車では席がない旅客の為、先着順最大20名の方に限って、人民幣30元(400円相当)を支払えば、当日のPM8:00~翌日AM6:00まで、レストラン車でお茶を飲んだり居眠りしたりすることができます。

 列車員は彼らにレストラン車にいるかどうかを確認したところ、彼らは座りたいですが、人民幣30元は彼らにとっては大金であり、30元を支払うよりも一晩立つ方がいいと思っています。なぜなら30元は凡そ彼らの2日間の収入でなんです!

 私は見ていられなくて、ついでに「ここに座っていいわよ!あなた達の分は私が払ってあげます!」と彼らに言いました。

 彼らはとても感激しました。翌朝までレストラン車のテーブルで爆睡してました・・・

 私はお金持ちの振りをしましたが、心の中に「自分が日本にいれば一庶民に過ぎない・・・」と自覚しました。


 私は自分の車両に戻って、「火把節」の事を同室の方に話しました。

 同室の一人は雲南省の方であり、「石林」の近くに住んでいます。

 彼にも「火把節」は見る価値があると言われました。もし私は「石林」に行くのなら、彼が会社の車で私と天海自由創を「石林」の彜族村まで送ることができます、そしてホテルを探してくれると言われました。


 とても嬉しかったです!正直に言うと11歳の天海自由創を連れて大きい荷物を持って全く知らない町でホテルを探すのは少し不安があります。車で現地まで送ってくれてその上ホテルまで探してくれるなんで、そんな有難い話はないです!

 私は即断し、「石林へ行く!」と決めました!


 8月14日の13:30頃私は「石林」で下車しました。

 前日の3名の青年は下車しないですが、見送ってくれました。そして私の重い荷物を列車からホームに下ろしてくれました。

 又、同室の方も約束の通り、迎えに来た部下に私達を「石林」の彜族村まで送ることを指示しました。そして私と天海自由創の為にホテルを見つけてくれました!とても感動しました!


 門出の時お互いに助け合うことは本当大切ですよね!



天海浪漫のブログ-石林駅-1


天海浪漫のブログ-石林駅-2



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