世間のお盆突入初日にスカイツリーのある街へ行ってきた。

$エッセイスト料理家ROMAKOの『好きな人と好きなモノを好きな時に好きなだけ食べる』


如何にもこうにもこの日は観光気分満載で、スポットに友人がいると聞きつけて電車に揺られた。
東京の気温はゆうに35℃を超え、入水を許された噴水では子供たちが水遊びに興じて、
あたり一面がプールの匂いに染まっていた。
コットンのキャミソールとデニムのホットパンツは四十路女の心を少女にあっさり変身させたし、
去年より、やたらと蚊の餌食になっている足は夏休みの象徴みたいになって、
ことも投げに、その輪に加わりたいとつんざく私を友人は呆れて、
それなのに食べたいかき氷は宇治金時とか言うなよと失笑した。

私はあの夏の匂いが嗅ぎたかったのだ。
ジリジリとして熱気が肩や膝を覆う、あの強烈な夏の匂いが無償にほしかった。
その日に切ったばかりの前髪は眉毛の上で整列していて幼いのに、
少しだけ女性の曲線を描き出した身体が疎ましくて、自分自身の変化に慣れずにいたあの夏だ。
何もかもが笑えなくて、受け止めるしかないと思っていたあの夏が、今はとても愛おしくて、
その時の気持ちをどうにかこうにか手に取りたくて疼く。
かすかに不埒で、笑う、ではなくて微笑むという表情をうっすらと浮かべようになれたのに、
嬉しさと強烈な恥ずかしさとの狭間で過ごした夏の日々。
あの夏は少女を大人にしたけど、この夏は大人に少女を思い出させる魔力があるらしい。
あの夏のように、自分自身にまた変化が訪れたんだと思う。
何もかもが初めてじゃない分、慣れていない部分を笑い飛ばし楽しむ余裕が今度は後押ししてくれる。
それでも今の自分の馬力を大きくしたいから、
それを実現するために、自分の中にある核を爆発させようと思う。
大人になるためにがむしゃらだったあの夏のように。

巨人の下で。