物心ついた時から「ごはんを炊く」のは日常だった。

私がまだ小さく、社宅に住んでいたころはガスの炊飯器だったような記憶がある。
アルミの蓋で、長いホースが蛇のように這っていた。
しばらくして、玄米食をするようになった父に合わせて圧力釜になった。
炊飯器が実家に登場するのは、やっと10年経った程度だ。
炊飯器が登場したこの10年は、私はアンチ炊飯器派になっていたし、
実家に帰れば私が鍋でご飯を炊くから未だにどんな炊飯器でどんな風に炊けるのかよく知らない。
それでも母が毎回たっぷり炊いては冷凍することだけは変わっていない。
それを私も受け継いでいるのだが、毎回炊きあがるごとに一喜一憂している母の姿も受け継いだ。
鍋とコンロの環境は変わらないのに、お米の状態、水の加減、研ぎの具合に、気温や湿度。
ちょっとしたことで、大きく振られる出来具合を突きつけられる炊きあがりのタイマーの音にドキドキする。
新米は土鍋で炊くけれど、基本的には圧力釜で炊き冷凍する。
水はお米のポテンシャルを最大限引き出してくれる一万年の雫

エッセイスト料理研究家ROMAKOの『好きな人と好きなモノを好きな時に好きなだけ食べる』

使うお米、炊く季節、そんなことを私なりに考慮して気持ちだけは一心不乱に炊く。
瑞々しく蟹の足跡がぽぽぽぽ~んとついて、キラキラしてたきあがった時に
あのトロ部分をすこぉ~しすくって食す幸せはたまらない。
これも母が幼い頃から私に施してくれたご褒美だ。
『パパにはナイショ。一番美味しいところ食べちゃったのよ。』
と、フフフと笑う母と私も同じ顔をして今でも口に運んでいると思う。

すっかり思い出が押し寄せ、前フリが長くなってしまったけれど、
日常のごはん炊きに見落としていたと感じることがあった。
それぞれ好みはあれど、美味しいごはんを炊きたかったら、
炊くお米の量に最適な鍋のサイズが必要になってくる。
炊飯器にも、圧力鍋にも「○○合炊き」と記載されいると思うが、ここが見落とし。
“大は小を兼ねる”知恵が発揮されているに過ぎないと感じている。
鍋に米を入れ、その米に対し1:1もしくは1:1.2の水を入れて炊く。
その水が入れられたラインから蓋までの鍋の部分。
ここに渦巻く蒸気が少なければ、水分がきちんと飛ばされず水っぽくなり、
逆に多ければ、水分が抜け過ぎて固くなる。
例えば直径22cmの鍋だと5合まで炊ける、ではなく3.5合が一番美味しいとなるはずだ。
お米と水の関係のように、鍋との関係も1:1でそれ以上もそれ以下もないってことが本当じゃないのかと取り憑かれている。
経験がものを言うのかもしれないけれど、私の回りには、お米の洗い方、研ぎ方、寝かせ方、
お米の違いによる水の量を教えてくれた人はたくさんいるけれど、お鍋を教えてくれた人はいない。
何十年も日常を繰り返して今更と自分でもおかしくて笑ってしまうが、
それでも、よりよい日常を求めて自分なりのセオリーを見つけようと思っている。

私の使う圧力釜は5合(迄)炊き。
でも、3合ないしは3.5合しか炊かない。
蒸気をためる鍋の部分が2/3程度欲しいのだ。
お米は状態や銘柄で変わる。
その変化に対応できる体勢作りをしなければ美味しくならないと思えてしかたない。

エッセイスト料理研究家ROMAKOの『好きな人と好きなモノを好きな時に好きなだけ食べる』-ごはん

与太話かもしれないけど。