本日、火葬が終わり
妻は天国へと旅立ちました。

皆様の温かいメッセージは
妻も天国で拝読していると思います。
ありがとうございます。

妻の最後の更新が1月でしたので
そこから現在まで
どのように病気と闘い、
過ごしたか記そうと思います。

妻へ。
何度も勝手に更新してごめん。
これで最後にするから許してね。


[1月]
痛みのコントロールが難しくなり入院。
癌に対しては無治療状態に。
病院内では車椅子にて移動出来る状態。
ちょこちょこ子供達を連れて面会。

[2月]
痛みのコントロールがある程度可能に。
無治療状態が続いているので
体力、体重はどんどん落ちる。
無治療は妻も私も
良くないと思っていたので
早いタイミングでの治療再開を望む。
しかし身体のトラブルがあったりで
中々再開出来ず。
この時点の体力で
使える抗癌剤はアブラキサン単剤。
もしこれが効かなければ
体力的に次の治療は無いとの事。
アブラキサン単剤の効く可能性は
かなり低いと説明を受けるも
最後の望みをかけて治療再開。

[3月]
コロナの影響で子供達と
長期間、面会出来ず。
アブラキサンの効果判定は
効かず。
3年間の闘病中、
色々な事がありましたが
家族としては
この結果が一番辛かった。
すべての望みが断ち切られ
心が折れました。

緩和ケアもしくは自宅緩和を勧められる。
本人希望で自宅緩和を選択。
もう起き上がる事は出来ず
寝たきりの状態。

[4月]
初旬に自宅へ帰ってくる。
1ヶ月以上、子供と会えなかった中で
自宅にて再会。
妻、号泣。
子供はケロッとしていましたが
母ちゃんが帰ってきた事は
嬉しそうでした。

[5月]
痛みはあるものの
なんとか薬で抑えて
訪問看護士さんの力も借りて
穏やかに過ごす。
食欲も旺盛。
子供とも寝たきりという
制限がある中で
コミュニュケーションを取る。

[6月]
痛みが強くなってきたため
痛み止めの薬を増やす。
意識が朦朧として
寝る時間が大幅に増える。

[亡くなる2日前]
いつ亡くなってもおかしくないので
覚悟はしてくださいと
訪問看護士さん。
調子も最悪でほとんど喋れず
まったく食べられず。

[亡くなる1日前]
何故か前日よりも体調が良くなる。
ハンバーグを少し食べる。
これならまだ大丈夫かなと
訪問看護士さん。

私「明日は子供達とアイスを作るから
食べられそうだったら食べてね」
妻「うん」

これが最後の会話でした。



治療に対しての
後悔が無いと言えば嘘になります。
痛みのコントロールに手間取らず
(詳しくは書きませんが
医者の言いなりは駄目ですね)
すぐに治療を再開できていれば
体力がまだあったので
アブラキサン単剤以外にも
有効な選択肢がありました。

更に言うと
コントロールが難しいところまで
ジオトリフ+アバスチンを引っ張ったのは
良くなかったかもしれません。
ケースバイケースですが
かなりの痛みがある状態で引っ張るのは
よく考えた方がいい気がします。

出来るなら体力がある状態で
効く可能性がある方法に
チャレンジさせてあげたかった。
愚痴ですね。すいません。



妻は最後まで懸命に頑張りました。
癌と向き合い、闘い続けました。
そんな妻を誇らしく思います。
本当に頑張った。


最後に
妻が一番最初に投稿したブログ記事に
子供達の後ろ姿が載っていました。
最後は成長した二人の写真で
締めようと思います。




成長…したのか?笑
それでは。