【壱ノ怪】星月ノ井、千年の刻待ち人(2)
2:かぐら、古都鎌倉に酔う
夢の中だと、確信できた。
しかし、当たる雨の冷たさと、体を伝う不快さ。
孤独と不安で引き裂かれそうな心。
これはいったいどうしたことか?
ここにいるのに、いないような・・・。しかし、実体験しているような…。
辺りを見回すと、随分時代錯誤な景色だった。
視界が全て茶色い。
掘立小屋があるのだが、それもトタンどころではなく木や土、藁を組み合わせたようなもの。道路も道路とはいえず、一面の泥が続く。
木も痩せこけて、緑と言うと山の方は鬱蒼としているが地面には雑草がお情け程度に生えているだけだ。
景色としては見えないが、頭の中で山の壁面に穴を空けて暮らしている者もいるし、生活は苦しく、貧富の差があり、
戦もあるという認識が繋がる。
『ずいぶんリアルな夢だ』
社会科の先生や古典専門の先生ならいざ知らず。現代文担当の国語科の自分にはここまで想像する頭は無いはずだ。
ゲームをやったとしても戦国時代ゲームなので、日本のここまで古い時代とは縁が無い。
と、場面が変わった。
夕暮れに人々が黒い影となって、河原の土手のようなところを歩いている。
暗い絵面だ。そして、空が赤くとても不気味である。
もの悲しさと、無常の気配を感じる。
そして、これだけの景色なのに瞬時に脳内に
『ああ、河原に死者を送るんだな』
と、理解した。
列はそこまで長くないが、頻度が高いと認識している。
しかし、吐き気がするほど強烈な『想い』を感じる。『思念』ともいうのだろうか。
この時代は疫病や厄災、戦火が絶えなかったのだろう。
地獄絵図に描かれているような景色が日常だったらしい。
その瞬間サブリミナルのように次々に映像が現れては消えた。
助かろうと何人かで遠い道のりを励まし合いながら山や谷を歩く景色。
病に恐れ、大人が次々に倒れていく恐怖。
救済をしようとする寺とお坊さんらしき人。
自分を守ろうとしてくれた人。
自分が守ろうとした者達。
自分?
自分は、何かに腰かけて…冷たい子を抱えている。
「最後の一人」
そう、自分の中で強烈に聞こえた。
そして、その子を多くの手が奪いに来る。
『やめろ!!来るな!!』
自分は、今まで流したことが無いほどの大量の涙を滝のように流した。
熱くとめどなく流れ、頬を濡らしていく。
『守れなかった。約束を守れなかった。現れなかった』
苦しさと、憤りと、不甲斐なさと、憎しみが…これほどの激情とは…。
苦しみ悶え、胸を掻きむしる想いというのがこれほどとは…。
鈴の音が聞こえる。
あとこれは・・・祭囃子?
― おーい!
陽気な声だ。男の人…おじいさんのような…しかし張りがある声だ。
ーこっちだ、こっちだぁ!
楽しそうだ。呼ばれてる。酒の席・・・な気がする。
黄色や白の・・・何もない空間だが、温かくほっとする場所にいる。
「目で感じるからいけないのだ。心で感じるのだ」
ー・・・?!
「ハッ?!」
飛び起きた。
夢から・・・覚めた。
2LDKの畳の部屋の、薄いカーテンから朝日が差し込んでいる。
いつも通りのゲーム以外何もない部屋が、
酷く懐かしく感じる。
「夢・・・だよな?」
普段独り言なんて言わないのだが、思わずわざと呟いてみた。
そうでなければあの酷い渦にちっぽけな自分など飲み込まれて、
奈落の底に落とされる気がしたからだ。
「どんな・・・ゆめ・・・?!」
涙が出てきた。
勝手に、熱い涙があふれて来る。
悲しくて、悔しくて、喪失感と・・・ぐちゃぐちゃだ。
「だー!!!いやいやいや!!!暗い!!夢だし!飯食おう!あっ!ゲーム取りにいかんとな」
寝間着の袖口で乱暴に目を拭って、膝を景気付けに「パンッ」と打つ。
勢いをつけて立ち上がると、敷布に足を取られ転びそうになった。
もう少しでテーブル上の眼鏡の上に思いきり手をつくところだった。
気を取り直して、変な夢を見たものだからサッとシャワーを浴びて気合を入れるとラーメンを作りながらフライパンでウインナーを焼いた。
何だかとても疲れたし、10本ぐらい焼いてしまおう。
卵はラーメンに入れるかフライパンに入れるか悩むところだ。
この、ウインナーの皮が熱されたフライパンで香ばしい香りを立ち上げながら、小気味いい音を立てて焼かれている瞬間というのは堪らない。塩を振ってフライパンを動かすたびに、ザラザラとキツネ色の表面を躍らせるのも良い。
結局ラーメンは素ラーメンに卵を落とし、香ばしく焼けたウインナー10本と、インスタント味噌汁というめちゃくちゃで、
とんでもない朝ご飯が出来上がったが、もうどうでもいいだろう。
「いただき・・・」
ーブー…
ご飯を食べようとしたら携帯が鳴った。
Lineの名前を見て自分は思わず叫んでしまった。
「和希?!あー!!そうだったワリィッ!!」
調子乗って昨日の夜に高校の同級生が務めている美容室を予約していたのだったが、すっかり忘れていた。
ー俺は一体どれだけ浮かれてたんだ?
頭を抱えながら友人の「昨日どうした?」のLineの返事を打ち返した。
『まぁ、忘れてたは忘れてたが…事件もあったしな。・・・とはいえこの内容はどうだろうか?』
駅で見知らぬおばあさんの荷物を持ってあげて、乗り換えまで面倒を見た。
完全に下手くそな遅刻の言い訳のようになってしまった。
そして案の定、旧友からの返信のLineは
「テメェ、ぶっとばすぞ(笑)」だった。
自分でも、こんな文章を人生で真面目に打つ日が来るとは思わなかったので思わず笑ってしまった。
あのおばあさんに罪はないが、あのおばあさんと別れた今でも笑わせてくれるとは…やはりいい出会いだったと思う。
しかし、Lineには続きがあった。
「お前どれだけ髪切ってないと思ってんだ?もう9カ月だぞ?!そんなモッサリヘアーしてるからいつまでたっても彼女できねぇんだよ( ゚Д゚)モッサリ。だが今日俺は店にいねぇ。代理に腕のいい俺の後輩で予約しといてやったから、これから11時に店に行け。モッサリドタキャン野郎」
こいつどれだけ人の事を馬鹿にするんだ?とは思いつつも、自分は矛を収めた。完全に自分に非がある。彼を責めるのは筋違いだ。
というより、自分にドン引きしている。
9か月も髪を切ってなかったのか。そりゃ生徒に毎日「髪伸びた」と言われるわけだ。そして、自分がそんなに世間的にモッサリ野郎と思われていたのか思うと…。モッサリな上に約束も守れないドタキャン野郎で、朝から素ラーメンにウインナー。それも10本。
落ち込んだ。
申し訳なさと、不甲斐なさと、情けなさで。
和希は口も態度も悪いが友達にはとことん世話焼きだ。
だから罵詈雑言を言いながらも、しっかりこんな奴の為に身なりを整えるセッティングを…。
11時?
あと30分で飯を食べて支度をして出なければならない。
あ、現金も下ろさないと手持ちがない。
店は自分たちが通っていた高校の近くにあるため、埼玉まで出なければならない。
定期にお金が入ってただろうか?
まずい。
味わう時間なんてない。掻き込んで出なければ間に合わない。
とりあえず和希への返信は電車でするので後回しにして、かつてないほどに大急ぎでご飯を食べ、身支度をし家を出た。
家を出た瞬間に、とんでもなく寒いことが分かり慌ててまた部屋に戻るとダウンとマフラーを引っ掴んで、駅まで走った。
八木先生の天気予報はやはり当たる。
雪でも降りそうな曇天と、身を切るような凍れる寒さは偶に白い息を吐きださないと芯まで凍り付いてしまうかのようだった。
駅についてお金を下ろし、定期にも入金を済ますと滑り込むように改札を抜け、ホームから電車に乗り込む。
温かい車内にホッとしながら、黒縁眼鏡を指で押し上げるが前髪がレンズを汚していて不快なことに気が付いた。
とりあえず席について和希に謝罪と、今向かっていること、感謝のLineを送ってから、眼鏡を拭いた。どうしてこうも眼鏡のレンズは汚れるのだろうか?脂汚れのようなのもある。
髪にこんなに脂があるというのだろうか?
また和希から返信が来た。兎に角早い。暇なのだろうか?
和希からの返信はこうだ。
「下手な言い訳をしなきゃならない理由があったんだろうとは思ってたけどさ、お前の事だし。頑張れよ!後輩、彩夏ってんだけど腕もいいがめちゃ可愛い上に彼氏募集中だってよ!付き合ったら仲介料貰うぜ!」
じゃ、俺デートだから。と、挙句の果てに付け加えられている。世話好きもここまでくれば見事だが、正直余計なお世話だ。
旧友がその女性に自分の事をペラペラ話してなければいいのだが…。大体、自分の好みの女性というのは彼には否定されている。
というより…誰の理解も得られなかった、と言うべきだろう。
クラスでマドンナと言われている子たちは、正直興味が無かった。
清楚な子に魅かれてはいたが、儚げな、脆そうな子たちで、自分が傷つけやしないか、守り切れるのかが不安で、それでいてしっくりこなかった。
不感症・朴念仁・聖者・妖精と、ありとあらゆる形で男子の間でからかわれて、散々な学生時代の恋模様だった。
・・・恋でもなければ、女子にもそういう風に影で言われていたのかもしれないが。
その彩夏という子も興味はあるが、和希のことだ。自分の好みを押し付けて来るに違いない。となると、明るくてイケイケな子だと予想する。
悪い子ではないのだろう。そこは分かっている。
実際和希の女友達はいい子が多い。
だがどうも、苦手なのだ。そろそろ分かって欲しい。
「あ、和希のお友達の佐竹神楽さんですよね?お任せください!ばっちりカッコよく、女の子にモッテモテな髪形に致しますので!!」
和希ぶっとばす。
心の中でブチ切れながらも、目の前のゆるふわウエーブの亜麻色の髪を揺らす、スタイルのいい女性は最高の笑顔で自分にそう明るく言い放った。自分がそういうものを望んでいる、下種なチャラい男だと思われてしまうではないか。
彩夏は金のこじんまりしたイヤリングを揺らしながら、席を進めた。
その鏡の前の自分を見て、いや、下種まではあるかもしれないが、チャラい男には間違っても見られないな。と、己のモッサリ感に酷く落胆した。カットだけでお任せにして、たわいない話をしていると彼女は冬休みが早くに始まる自分の環境を羨んだ。
「でも、美容師さんにも冬休みあるんじゃないんですか?」
「ありますけど、ちょっとですよ。31日と、三が日。あーあ。2週間もあるなんていいなぁ。何でもできるじゃないですかぁ」
グロスのついたふっくらしたしたピンクの口を尖らせて彼女は言う。言いながら手つきは恐ろしいほど無駄が無い。カーキのくるぶしまであるニットのワンピースに、黒いベルト、黒いショートブーツ。きっとこの店でもメキメキ頭角を現して、イケイケに独立していくだろう雰囲気だ。
無理。俺にはとてもじゃないが釣り合わない。恐い。
「クリスマスどこにもいけないなら、そこで何処かに行くしかないですね」
「あー、一応とりあえず近場に行こうと思ってて…。お兄さん、江ノ島って行ったことあります?」
・・・。和希。この雰囲気とこのワードを見ろ。
この子は恐らく彼氏乃至、彼氏候補がいる。
何が彼氏募集中だ。
ずさんな下調べしやがって。
しかし、江ノ島・・・。つくづく昨日から鎌倉あたりに縁がある。きっと彼女はあの激込みの中彼氏乃至、彼氏候補と初詣に行って江ノ島でイケイケデートをするのだろう。もう結婚してしまえ。お幸せに。
「はいできた!!・・・ヤバい!!思った以上にいい感じだよお兄さん!!私の思った通り!元が良いんだからカッコよくなると思った!すっかり韓流スターだよ!!」
「・・・え?!韓流?!」
確かに。よく韓流ドラマで見る優し気なお兄ちゃん風になっている。
だが、ちょっと女っぽい。良く言えば中性的だ。
これでは、“やや女よりの顔”というコンプレックスが更に露呈してしまう。この髪形だけはしないと思っていたのにまさかの・・・。まさかの韓流カット。それで下の名前が女っぽいから…。最悪だ。
失意のうちにお会計に入る。
「あら。お兄さん随分見違えましたね。カッコいいですよ」
知らない従業員からもそう言われてもはや愛想笑いしか返せない。
子供のころから女に間違われていた。
色が白くて切れ長の目で、まつ毛が長い。
背も小さかった。おまけに名前が「神楽」だったので神楽ちゃんと呼ばれていた。スカートを履かされたこともある。あの写真は封印してもらっている。
そう言うのが嫌で、小学生から鍛えだした。
しかし、病弱だったためにそんなに成果は上がらず。中学になり、背が伸び出して運動部に入ってからガタイもそこそこ良くなってきた。
背が高くなりたくってバスケ部とバレー部をやったのだが、身長は178センチ止まり。伸びたと言えば伸びたのだが、中途半端だ。
男は25歳まで成長ホルモンが出ていると聞いたことがあるので今年がラストチャンスと思っているわけだが…。
いやいやそれより髪形どーする?
ショーウインドーに映る自分は男らしいというより中性的だ。
これで体が細かったら最悪だった。
カットに2時間もかかったので小腹が空いてしまった。
とにもかくにも腹を満たそう。他店で髪を切り直すことすら視野の内だ。
それほど追い詰められている。
しかし、腹は減る。
そう思い、適当なチェーン店のレストランに入る。
と、メニューを開くと湘南カレー!湘南ハンバーガー!湘南ホットケーキ!
と、続いているではないか。
ーまたあっちの話か。何でこの冬に湘南なんだよ。爆発しろ。
湘南=カップル・サーファー・イケイケ
そうインプットされている。心なしか店内もカップルが多い気がする。
『何なんだ?本当に…浮かれた奴らがやけに目立つ…』
ーブ-…
携帯にまた和希からLineが来て、開けてみるとやはり浮かれた奴から、浮かれた話題が来ていた。
「お前、韓流スターになったってな!(爆笑)これで今日女をバンバン吊り上げて、クリスマスを有意義に過ごせよな!!俺、サンタだぜ!!」
ああ、そうか今日クリスマスか。どうりで町中ふわふわしていると思ったのだ。とりあえず和希は会ったらぶっ飛ばす決定だ。
ふと、夢の事を思い出した。
ーあんな状況の子が、世界のどこかにいるかもしれないんだな…。
そう思うと、このキラキラした景色と比べてしまい急に空しくなった。
そしてまたラブロマンスを逃したかと思うと寒さが増した気がした。
■
しかしその後も、
本屋に行けば鎌倉、江ノ島、源平合戦新訳
友人から湘南でバーベキューをしたという報告(誘われてはいたが仕事で行けなかった)
更に両親から元旦は鎌倉で初詣するという報告が。(追って弟から付き合わなければならない独り身の辛さを切々とLineで聞かされた)
更に電車に乗ればつり広告が鶴岡八幡宮の元旦宣伝!
呪われている。
ええい、ままよ!!と、地元の神社のおみくじを引いてみたら
「流れに乗れ。抗えないから。やることやれ」
と、諦めモードな大吉を引いてしまった。
どんな大吉だよ。
というか、そうではない。
変な夢は見るし、呪われたようにしつこく鎌倉が出て来る。
何とかしてくれと言いたかったのだ。
それに夢の最後もおかしい。
目で見るといけなくて、心で感じろっていうのは…。
ジャンプでよくあることだろうか。
「はぁ…」
神社の境内にベンチがあるので、それに腰かけて目の前の池を見た。
五月には躑躅が咲き乱れ、藤棚が満開になり美しい池なのだが
もはや夕暮れ時。
何かが出そうな雰囲気だ。
ーブ-…
『また和希か!!』
携帯を見るとyahooニュースで、今年のお正月は江島神社へ行こう!江ノ島特集!と書いてある。
『何なんだ本当に!!!』
ここまで来ると本気で怖い。執拗に何かに追いかけられているかのようだ。
ーブ-…
身構えて携帯を見ると、
『楽しんでるか?神楽!!( *´艸`)仲介料払えよ!』
「マジでぶっ飛ばすぞ和希!!」
つい、声に出ていたようだ。自分の大声に恥ずかしくなり、額を覆う。
すると、衣擦れの音と共に
「そろそろここらも異界となるぞ」
と聞こえた気がした。
いや、とうとう頭が可笑しくなったか?と顔を上げる。
恐ろしいほど静かだった。
池の音しか聞こえない。
神社の杜が、夕方になるとこれほどまでに“おどろおどろしく”なるとは。
笑ってしまう思想だが、妖怪でもひょっこり出てきそうだ。
妖怪ならまだキャラクター性があるが、
この闇の奥深さは、幽霊でも出そうな雰囲気だ。
いやいや。やめろ、自分の思想よ。
怖すぎる。
家に帰っても一人なんだぞ。
周りは家族が住んでるようで、徐々に里帰りしているのか静かになりだしている。
少々奥まったアパートなので、あの辺りに自分ひとりだけが取り残されることを想像すると…。
ザワッ…
葉擦れの音がして、
『カチッ…カラカラ』
石畳に
小石が蹴られて転がるような音がした。
風が巻き上げた石が転がったのか?
闇が濃くなっていく気がする。
そして、さきほどから気のせいかと思っていたが…
足音がする気がする。
裸足の。
耳を澄ませる。
いや、まさか。
この時期の、真冬の石畳を裸足で歩こうなんて輩がいたら
マゾか、ヤバい奴だ。
時が止まったかのような景色と
闇
ヒタ・・・ヒタ・・・
『やっぱり聞こえるんだが・・・?空耳か?』
しかも、
これは絶対に子供の足音だ。
ヒタ・・・ヒタ・・・ ヒタヒタ… ヒタヒタヒタヒタ
『帰ろうバカバカしい!!どっかの子供が抜け出して迷い込んだんだろう!』
頭ではそう思っているのに、
体が動かない。
何なら目も動かせない。
対象を見ようと、体が固まっている。
『待てよここは神社だぞ?!仮にそういうのが存在するとしたとしても、ここに入ってこれるわけねぇ・・?だろ?!多分!!良く分からんが!だったらやっぱ・・・!!』
ヒタヒタヒタ。
いる。
そこの、
雪柳の鬱蒼とした葉の裏にいる。
何かは分からない。
だが、いる。
見てはならないものがいる。
ー何で体が動かないんだ!!冗談じゃねぇぞ!!
そんな不確かなものはいない。
友人にもそう言っていた。
だが、目の前で起こっている、自分の身に起こっているこの現象を、いったいどう説明すればよいのだろうか?
明らかに居ると確信できる。
雪柳の下の、枝の隙間から
子供の白く、骨のような足が見えた。
「ミゥ・・・!」
「あ?!」
突然、動けるようになった。
足元の、ベンチの下に金色に光る眼が二つ・・・。
「どわぁあッッ!!?」
黒い、もこもこした小さいのが飛び出してきた。
「ね、猫!?」
猫はまた「ミャゥ!」と、あどけない顔で笑いかけるように小さく鳴いた。
その瞬間、汗がドッと出てきて乱れた呼吸に気が付いた。
さきほどまで無かった音が戻ってきている。
あの音も気配も無い。
さっきは後ろのあの雪柳の後ろに絶対何かいるという確信があったが、今はまるでない。というより、気配が分かるわけがないのに何故さっきはあんなにも「絶対何かがいる」と思ったのだろうか?
「脅かすなよなぁ。おい。お前どこから来たんだ?」
「ミャゥ!」
「みゃう、じゃわかんねーだろ?ん?首輪…。お。住所書いてある。ラッキ・・・」
神奈川県鎌倉市坂ノ下・・・
そう・・・マーカーで達筆に書いてある。
「いい加減にしろよ!!どうやって鎌倉から県またいで東京の俺のところまで来たのか言ってみな?!」
黒い子猫は小さい顎を、小さく上下させてさきほどより小さい声で「ニャ」と言ったのみだった。
ー何で今日もこんなに疲れているんだ。休み初日だぞ。
猫を獣医に一応見せて、健康体だと確認してもらい、今後の事を相談した。
獣医の人のよさそうなおじさんは「鎌倉の坂ノ下ならいいところじゃないか。鶴岡八幡宮にも江ノ島にも行けるし、なにより長谷だしね。観光がてら行っちゃいなよ!」
と、いい笑顔で勧められた。
何事も無ければそれで行ったかもしれないが…。
うちではペット禁止なので勿論猫は飼えない。
大家に見つかったら殺される。
強いおばちゃんなんだと、不動産の兄さんが震えていたのをよく覚えている。
ということは…、届けに行くか…警察なのだが…。
生後1か月くらいなのでまだ手がかかる。とは、獣医さんが言っていたことだ。世話ができないなら早めに対処した方がいい。と。
明日警察届けるか?
飼い主が遺失物届(財産扱いらしい)を出していたら連絡が早い。
無事を早く知らせたいという思いもある。
だが…その後も不思議なことが続いた。
疲れて寝てしまったらまた、夕べと同じ夢を見た
しかも、寝入りばなにあの神社と同じ気配がしてこちらの様子を伺っている気がするのだ。
気のせいと思っているのだが、猫は窓の外をじっと見ているし、
なんなら夜中のその気配が動き出そうものなら、その猫が急に起き上がって毛を逆立てて叫びだす。
普通に怖いだけなら「やめろ、恐い!」と、猫を宥めただろう。
しかし、声を出すのも憚(はば)かられる。
そんな空気なのだ。
そして、それを恐いというのと同時に、自分の中で独り歩きしている「大家像」のために、「大家に殺される」と瞬時に青ざめ、適当に台所の粗塩を取って窓にぶつけると、猫をなだめるために背を摩りながら寝るという訳の分からない状態になっている。
そんな生活をもう5日もしてしまった。
警察に届けたい。
しかし、
この猫が居なくなったら自分はあの気配にどうされてしまうのか?
恐くて決断ができなかった。
ゲームをして気晴らしをしたいところなのだが、猫はまだ子猫で手がかかるし、宙を見つめられるといてもたってもいられなくなる。
そして、毎夜あの夢だ。
自分はきっと、何かに呪われた。
ならば、現地に行き神に頼みまくって…。
「俺は何をしているんだ、年末に・・・」
わざわざ猫のキャリーケースを買って、寝不足と疲労の体を引きずり、
クリスマスイブに出会ったおばあさんと同じ経路で総武線、逗子行きの電車に乗った自分を思って嘆いた。
ケーキも食べておらず、掃除もしてない。なんなら新年の用意もゲームすらできてない。
『地獄かよ』
猫の可愛さだけが救いだ。
そう悲壮感に暮れつつも、電車は鎌倉を目指して走っていく。
家を探さなければならないからと、ほぼ始発で家を出たのだが
電車から登りゆく朝日は、本当に美しかった。