飛行機のお話 パート”2 | 薔薇色のメヌエット

飛行機のお話 パート”2

私は、動物だけにのみならず・・・飛行機が、空港が大好き少女でした。

先ほどもブログしましたが”日本が、世界に向けて発進しはじめた頃

多感な時期を迎えましたから”

そして、父もお仕事柄よく飛行機を利用していましたから。

大坂伊丹空港までの、父の送迎は、学校休んでも行きたい”

ぐらい駄々をこねたものです。

そうそう・・小学校の遠足が伊丹空港でした。その時空港に停まっていたのは

何を隠そう、アメリカボーイング社のジャンボジェット機ボーイング’727

憧れの→セブンツーセブン機でした。

コックピットに入り込み、頭の上まで前後ぐるりと、機械とスイッチと、

赤いランプと、青いランプばかりだったことを記憶しています。

す・す・すごおおい”これが、この巨大な鉄の塊がホントに飛ぶんだから””

何を隠そう~遠足の終了の集合時間に~トイレに駆け込み・・(^^ゞ

ここで泊まる!!帰りたくない講義をして、

バスの時間を遅らし、あとで先生や校長先生や保健の先生や

親にまでこっぴどく叱られました。(ーー;)オイオイッ”

でもでも、本人はいたってケロッとしたものです。それから時間を作っては、

伊丹空港まで・・カメラ持参で、でかけて行き、飛行機の見学” 

2分おきに飛んでくる国内外の飛行機を、一日中””撮影スポットで待ち構え、

飽きもせず見とれていたのは私です。

子供ですので写真はなかなかうまく、撮影できるものではありませんが、

私は45度の角度で、空に向かって機体が浮き上がった瞬間と、

夕暮れに染まったはるかな空から、外国航路から帰ってきた飛行機が、

こちらに向かって降りてくる瞬間が大好きでした。

飛び立ち、小さく消えてゆく飛行機をみては感動し、

帰港して  どんどん近づいて~爆音を響かせ大きくなる飛行機の

機種を確認しては喜んでいました。

伊丹空港は今は 国内線オンリーになっちゃったけど、

私の知ってる伊丹空港は、昭和の時代!!

大坂の世界の窓口”という素晴らしい空港でした。

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