子どもの頃は,ひとつ年が違うとずいぶんと大人に見えたものであるし,それこそホントの大人を見ればもう別種の存在に見えたものであるけれども,いざ自分が歳を重ねてみると,中身などというのはそんなに変わっていないような気がするのであるよな。

 知識やら経験が増えているから,物事への対処の仕方というか「他から見られてそれほど恥ずかしくなく振舞う術」を身につけただけで,心の中で思うことはそんなに変わっていないような気がする。
(わー。この仕事やだ。やりたくねー。ひーん)とか考えても,ホントには泣かないだけで,心で泣いていたりする。子どもの頃から強かった人は心でも泣かないのかもしれないけれども。

 だから,年齢だけ重ねても意外と気持ちはずっと若かったりするのだけれども,身体面ではそうもいかないのであるよな。
 もう20代くらいでも「走ると疲れるー。学生と違うわ。オレももうトシだー」なんて言ったりはするけれども,それはただオトナぶりたいだけの発言であって,ホントにそう思ってるわけではないのだよな。

 ホントにそう思うのは,外見でハッキリと老化がわかるとき。それが何なのかは人によって違うかもしれないけれども,私の場合はシラガであるな。
 私はここまで頭髪にシラガはなかった。ちょっと前から鼻毛にシラガが出てたりしたのだけれども「むしろ鼻毛が目立たなくてよろしい」くらいに考えていた。
 が,先日鏡を見たところ,モミアゲ部分に数本のシラガがハッキリと。

「うわ。なんだこれ。光の加減か?いや違うな。何か糸でも頭についたか?取ってやれ。あれ,取れない。痛い。なに?ホンモノか?髪の毛白いのか?うそ。シラガ?マジか。モミアゲに?あー,そういう人いるよな。モミアゲが白い人。うわ。あんなになるのか。他にもあるか?とりあえず見えないか。でも後頭部真っ白だったらどうする?いやそれはないか。でももう一枚カガミ鏡。カガミないか。よしスマホで。んー,後頭部大丈夫」

 と,一通り狼狽したあとで「んー。そうか。ついに来たか」と思ったのであるよな。心は若いつもりでいても外見で出てしまうと,観念せざるを得ない。
 前にテレビに映ったときも,おじぎして頭頂部が見えて「わ。てっぺん意外と薄いな」と思ったりしたけれども,自分であんまり見えないということもあってそのまま忘れてた。

 しかし人間が生物として生きていく上では,別に髪の毛が白くなる必然性なんて無いと思うのだけれども,それによって老化を自覚させ,相応の生き方をさせようとする生命のメカニズムだったりするんであろうか。もうムリはきかんぞ,というサインか。

 ということで,これからどうしようか検討中。染めるのもアレだし。テクノカットにするかな。いやいや。
 まぁ,シラガよりもまずメタボをなんとかせいという声もありますけれども。


 ということとは毎度関係なく,5月19日更新は「結界物件3」。
 地味な写真のみ。入ってしまえば,閉じた空間というのは心地良いような気もする。
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