街を歩いているとたいがい目にするのが,標語系のカンバンであります。
学校の生徒が授業で作ったりとか,趣味の俳句を活かそうという老廃人いや老俳人が作ったりとかしているのが多いと思われるんでした。
多くの街を歩いてカンバンを眺めていると,そういった標語系のカンバンは地域によって傾向があるように感じられるんでした。
街によって「交通安全系」のカンバンが多かったり「環境美化系」のカンバンが多かったり「地域・家族の和系」のカンバンが多かったりするんでありますね。
「その地域で強化したいこと」がカンバンとして現れているようなんでした。
街によって「交通安全系」のカンバンが多かったり「環境美化系」のカンバンが多かったり「地域・家族の和系」のカンバンが多かったりするんでありますね。
「その地域で強化したいこと」がカンバンとして現れているようなんでした。
今回の物件はだいたい同じ地域で撮ったものであります。ここではどうやら「若者の犯罪抑止」を強化したいようなんでした。犯罪予備軍が多いんでありましょうか。いやそんなこともないとは思いますが。
ということで,長い前フリのあとようやく最初の物件でありますけれども
「万引きは 悪い道への 第一歩」
とのことなんでした。
「万引きは 悪い道への 第一歩」
とのことなんでした。
「第一歩」というのは片足だけを踏み出しているわけで,もう片方の足は良い道に残っているから,引き返すことができるわけであります。逆に,もう片方の足も悪い道に踏み入れてしまったら,なかなか抜け出せなくなってしまうわけでありますね。
その辺が人生の分岐点になるということなんでありますけれども,「万引き」は果たして「第一歩」なのか?という気がしてくるんでした。もうそれは三歩くらい進んでどっぷり悪路に浸かってるんではあるまいか。引き返したとしても汚れはなかなか落ちないんではあるまいか。と思ってしまうんでした。
昔は「ウソツキ」が「ドロボウの始まり」だったわけでありますけれども,今やドロボウ(=万引き)は終着点ではなくスタート地点に過ぎなくなっているわけでした。
続いては
「そこの君 今なら間に合う 手を止めろ」
ということであります。
こちらは,手を下そうとしているけれどもまだ間に合う,という時点なんでありますね。それはぜひ間に合わせてもらいたいものであります。
しかし,冷静に考えるとこの「そこの君 今なら間に合う 手を止めろ」には「万引き」という言葉はどこにもないんでありますね。それなのにこの文章で万引きを連想してしまうというのは,いかがなものなんでありましょうか。
しかし,冷静に考えるとこの「そこの君 今なら間に合う 手を止めろ」には「万引き」という言葉はどこにもないんでありますね。それなのにこの文章で万引きを連想してしまうというのは,いかがなものなんでありましょうか。
だいたいが,このカンバンのあるのは背景でわかるように公園なんでした。公園で万引きというのもあまりなさそうであります。
するとこれは実は「だるまさんが転んだ」をしている子どもたちに向けて「欲張ってはいけない。それ以上動くと捕まってしまうぞ」という牧歌的なアドバイスなのかもしれないでありますね。しれなくないか。
するとこれは実は「だるまさんが転んだ」をしている子どもたちに向けて「欲張ってはいけない。それ以上動くと捕まってしまうぞ」という牧歌的なアドバイスなのかもしれないでありますね。しれなくないか。
あるいは,これは名指しで「底野くん」という個人に呼びかけているんでありましょうか。ちがうか。
こちらは
「犯罪を止めるも やめるも僕たちだ」
ということなんでした。
これは「やめるも僕たちだ」と言っているからには,もうすでに犯罪に手を染めているんでありますね。残念なところであります。
しかし,それを悔い改めて仲間の犯罪まで止めようというあたりは立派なものであります。ドラマなんかでは,だいたいそういうヤツには死亡フラグが立っていますけれども。
しかし,それを悔い改めて仲間の犯罪まで止めようというあたりは立派なものであります。ドラマなんかでは,だいたいそういうヤツには死亡フラグが立っていますけれども。
まぁ,まずはやはりそういう悪い道に一歩を踏み出さないことが大事なんでありますね。
そこで,最後のお言葉であります。
そこで,最後のお言葉であります。
「『やらないか』 そんな誘いに 乗らないで」
とのことなんでした。
むぅ。これは一部の人が反応してしまうフレーズでありますね。思わず「ウホッ!」と言ってしまう人も多いんではないかと思ってしまうんでした。
作者の中学二年生男子は,そんな誘いを受けてしまったことがあるんでありましょうか。これはやはり,まだその誘いに乗るのは早いような気がするでありますね。もうちょっと普通のことを経験してから…。何を言っているのか。
まぁ,おそらく作者としては「誘い」というのは「犯罪行為」への誘いを想定しているんでしょうけれども,この標語を採用する側も「やらないか」には反応しなかったんでありましょうか。
「んー。先生,この『やらないか』っていうのは違う表現にした方がいいと思うなぁ」
「なんでですか。『やらないか』がなんでダメなんですか」
「いや,ほら。『やらないか』って,色んな場面で使うからさ」
「色んなって,どんな場面で使うんですか。具体的に教えてください」
「え。あー,うん(メンドくせぇヤツだな)。んー,まぁ,いいか。『やらないか』でも」
「なんでですか。『やらないか』がなんでダメなんですか」
「いや,ほら。『やらないか』って,色んな場面で使うからさ」
「色んなって,どんな場面で使うんですか。具体的に教えてください」
「え。あー,うん(メンドくせぇヤツだな)。んー,まぁ,いいか。『やらないか』でも」
というようなやりとりがあったりしたんでありましょうか。
まぁ,今日びの中学生はもうネットであらゆる情報を手に入れるから,すべてわかった上で先生をからかったつもりだったのが,思いがけずカンバンに採用されてしまったのかもしれませんが。
まぁ,今日びの中学生はもうネットであらゆる情報を手に入れるから,すべてわかった上で先生をからかったつもりだったのが,思いがけずカンバンに採用されてしまったのかもしれませんが。
「悪い道への」は新潟市北区・すみれ野2あたり。
「そこの君」は新潟市北区・つくし野2あたり。
「僕たちだ」は新潟市北区・新崎3あたり。
「やらないか」は新潟市北区・新崎2あたり。
「そこの君」は新潟市北区・つくし野2あたり。
「僕たちだ」は新潟市北区・新崎3あたり。
「やらないか」は新潟市北区・新崎2あたり。
今回は力作の標語をオモシロがってしまいましたけれども,これは決して揶揄しているわけではなく,純粋にオモシロがっているだけなんであります。
なので,標語作者のみなさんはこれからも素晴らしい標語を作っていってもらいたいものだと思ったりするわけであります。
なので,標語作者のみなさんはこれからも素晴らしい標語を作っていってもらいたいものだと思ったりするわけであります。