最近、「つい子供に対して世話を焼いてしまう」ことについて考えるのですが、
子供の世話を焼いてやるのは、子供のためだと思っていたんですよね。それが子供が喜ぶと思っていた、というか、そう思いたかった。
でもよくよく考えると、それは親としての私の存在意義を示すため、私が子供のとって必要な存在だと示したかったため、私が子供に好かれるためだったかもしれない。

でも、子供自身は、本質的には親に世話されることは望んでいないんだということが、やっと最近、腑に落ちてきました。お世話してあげると、子供はその場では楽だなーとにっこりするかもしれないけれど、人間としては望んでいない。赤ちゃんのときに、誰に言われるでもないのに自ら立ち上がる練習をして、歩く練習をして、歩けてあんなに喜んでいた、あの姿を思い出せば、人間は誰でも自分でいろんなことができるようになりたいと思っている。抱っこのままでいたい赤ちゃんなんて一人もいない。なのに、私はそれに対して世話を焼いて、子供を私に依存させてしまっていたんだと思い至りました。

あの、立てて、歩けて喜んでいた子供の、人間本来の喜びの笑顔を、これからも見ていきたい。子供が一人でできるようになることは、子供自身の本質的な喜びで、それが親の喜び。それが親子の本来的な構造なんだと、やっと分かってきました。


子供が自立していく、親から離れていく姿が寂しく感じられるのはもちろんです。でも、親無しで生きていかれるように育てるのが親の役目であり、それが親の根源的な喜び。目先の対処に追われて、本来目指すところを見失わないように、錯覚しないように、ちゃんと追求していきたいと思います。