伊和都比売神社の参拝を終えたのが15時半ぐらい、まだまだ時間がある。

この日の宿泊先は、翌日の広島での用事を考え、三原市にしたこともありできるだけ早く帰ってホテルでゆっくりしたい反面、滅多に来れるエリアではなく、赤穂の街をもう少し見て回りたい気持ちも強かった。
ここで再度、あこうぶらりマップを確認することにした。

赤穂では、一押しは大石蔵之介ゆかりの地になるが、正直私は大石蔵之介より仏像の方が興味がある。
内蔵助が寄贈した鐘が残っている寺や、寄進した灯篭があるとか・・・色々と名所が書かれてあったが
私は、先ほど参拝した赤穂八幡宮近くの、普門寺が気になった。
ここには重文の十一面観音菩薩坐像があるようだ。

ではそこに行ってみよう。
実は、赤穂八幡宮を後にして、すぐのところ
進行方向右側に石鳥居があるのに気づいたが、そのまま走り去ってしまいちょっと気になっていた。

ここ数年、神社仏閣巡りを軸に散策してるので
赤い旗が見えると・・・稲荷神社か?とか
ちょっと鬱蒼感がある木が生えていると、そこは神社か? と気になってしまう自分が少々怖い。
ある意味ちょっと病気かもしれない(笑)

そこで、普門寺、
その位置は山側にあるようだが
折角近くに車を停めたので、先ほど気になった石鳥居をみてみることにした。

ごく一般的な民家の中を歩いていくが
焼き板をつかった建物は、独特の雰囲気がある。
私がとても好きな、土地の記憶を感じる良い町並みだ。

程なく、鳥居まできたが、さほど大きな規模の神社ではないようだ。
右手に立派な屋根の寺があり、宝専寺というらしい。
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さて、宝崎神社
鳥居をくぐると、右側の岩の塊がとても気になる。
ノット岩と言うらしい
由緒をみると

八幡神である応神天皇の母、神功皇后が、三韓征伐の帰りに大嵐にあってしまい
難破寸前に、この岩に船をつないで波が静まるのを待ちながら祝詞を唱え
波が静まったことが由来らしい。
現在は、随分海から奥まったところにあるので、この辺は昔は海だったようだ。
神話時代の天皇の話なので、なんとも言えないが、正しいと考えると、この赤穂の街も神功皇后の伝説の地だった訳だ。

忠臣蔵の史実よりもっと前の、太古のロマンをこのノット岩に登り想像してみた。
この出来事から、近所に八幡様を祀ったことも十分理解できる。
土地の記憶がしっかり残っている訳だ。
時間があれば神功皇后の足取りやゆかりの地を巡るのも楽しそうだ。

境内らしきエリアには社務所っぽい建物もあるが
御朱印はやっていない可能性もあり、もらうことはやめた。
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宝崎神社には他に水神社と稲荷神社があり、地味ながらその歴史を現在に伝えている。