今は何の街と言って良いのか? 神保町

私は中学生から通っているのでもう40年ぐらいの付き合いになる。
40年前は、神保町本来の古書の街だった。
それが、私が大学生になると、スキーブームに乗って、ヴィクトリアスポーツに代表されるスポーツ店が乱立し
古書の街よりスキーの街に変わってしまった。
スキーブームが落ち着いてしまうと、あれだけあったスキー店も段々規模を縮小し、本来古書の街がまた戻ってきた感じがする。

そんな神保町は未だに足繁く通っているが
そんな時代毎に変貌を遂げるこの街に、静かに鎮座している神社がある。
場所的には大変わかりづらい靖国通りのミズノの裏手といえば良いか?
完全に民家に馴染んでしまっている。
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五十稲荷神社
本来の名は、栄寿稲荷神社
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稲荷神社なので、穀物や農業の神
ということは、今では商業で栄えるこの街も古くは畑が多かったのだろうね。
神保町が今の様な街になったのは大正以降らしい。
皇居を中心とするなら鬼門に位置するエリアだが、静かな場所だったのだろう。
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私が訪れたときは、社務所横に箱があって
そこから勝手に御朱印を受け取る形をとっていた。
大祭以外は、神主は常駐していないのかもしれない。
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