赤間神宮からは海沿いを走って、下関の最終目的地である住吉神社に向かうその途中
関門橋を潜ったところで、壇ノ浦がある。

赤間神宮を出るとき、右に向かえば巌流島とあった。
武蔵・小次郎の決戦の場であるが、
私は巌流島より壇ノ浦、武蔵より九郎義経
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私が一番好きだった武将は、戦国時代ではなく、まだ武士と言う括りが不明確な義経だった。
なので、彼の終焉の地と言われた平泉にも一時期は1年に1回は行っていた。
鎌倉近くの横須賀に住んだのも、なにか縁があるかも知れない
と言っても義経と鎌倉は、いいイメージではないけど、源氏という括りでは外せない。

義経伝説のスタートと言えば、鞍馬ここも参拝した。

彼の功績順で行けば
ひよどりごえの一の谷、屋島、壇ノ浦と繋がるが、本来なら一の谷なのだろうが
まずは屋島、ここは四国八十八箇所のついでだったが、
ここで、ちょっと忘れかけていた義経を思い出すことになった。
そして、次は一の谷かと思ったが、
住吉神社の関係で、壇ノ浦をいることができた。

壇ノ浦と言う土地は、私が歴史を学んだ時からの憧れの場所だったと思う。
私的には、数ある合戦で一番印象深い、それは、川中島でも、桶狭間でも、関ヶ原でもなく、壇ノ浦なんだなあ・・・
1185年壇ノ浦の戦いと、小学生での記憶が未だ覚えているのも凄いものだ。
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現在は、義経と平知盛の像が置かれている。
関門橋のインパクトがありすぎて、うっかりすれば通り過ぎてしまうほど地味な雰囲気だが
この銅像をみて、色々と思うところがある。

対岸の門司側、和布刈神社前でみた関門海峡の流れの速さをみると
海戦は大変なものだったと体感できる。歴史書をみると海軍は明らかに平家の方が優れていたと書かれているが、これも運命なのか源氏が勝ったのは戦いの勢いだったのだろう。

この戦いで、3種の神器のうち天叢雲剣はここで無くなったと言われているが
先日、その後の伊勢神宮の献上刀を御神体としている熱田神宮を参拝しているのは縁を感じる。
不慮の死となった安徳天皇の参拝も赤間神宮で終えているので、歴史の大きな流れを体感できただろう。