ニッポン列島の地図を見て
たぶん普通なら上からみると思うが・・・・北海道の下に目をやると下北半島がある。
とても印象深い形をしているからすぐに分かる。

中心ではないがその真ん中に恐山がある。
上がマグロで有名な大間、左はまあ仏ヶ浦で有名な佐井、右は上野の方になってしまうが寒立馬で有名な尻屋
斧の形をした下側はむつの町になる
そんなむつの町の近代の歴史を探ってみると、「斗南藩」と言う名前がでてくる。

私の中学生の頃は、高校入試も3教科だったので、カリキュラムとして社会科の歴史に関しては
ほぼ江戸時代に入るか入らないかで終了してしまった。あとは勝手に教科書読んでね・・・的な

歴史好きだった私だが、一番の興味は飛鳥時代含むそれ以前だったので
歴史の一番面白い武士の登場ぐらいから、あまり興味が出ず、勉強として単に記憶していただけ状態だった。
鎌倉、戦国と来て当然江戸、明治と大きな激動の時代、特にその後半については
殆ど勉強していないことになる。なので、これらの知識を得たのは随分大人になってからだ。

なので、関ヶ原の合戦をイメージすると、ほぼ家康と石田三成ぐらいしかわからない程度だった。
もっとひどいのは明治期、新選組、坂本龍馬、長州、薩摩など全く興味がなかったものだから
戊辰戦争時、会津で物凄い壮絶な戦いがあったことを知るのは、会社に入って喜多方ラーメンを食べに夜な夜な車を走らせたその帰りに鶴ケ城に寄って、わかったぐらいだった。

なので興味もないから、会津藩が後にお家を潰され青森の地を選び、それと同時に斗南藩となったことなど
これも三沢に住んでから知ったぐらいだった。
とは言っても三沢の町でも斗南藩を感じることなどなく、郊外の先人記念館を偶然見に行ったとき、改めて知ったぐらいだった。

いまでこそ三沢やむつも、インフラが完備し、冬でも快適に過ごすことができるが
ちょっと前までは、大変だったそうだ。
地吹雪の日に、その凄さを体感したとき、当時の粗末な家では大変だったろうと寒さ以上に震えた。

会津と言えば、松平一族
徳川将軍家の1つだが、
そんな豊かな一族が、極寒の地に移り、また開拓など完全にされていない土地でさぞ大変だったろうと目頭が暑くなる想いだ。

そんなむつの地は、会津の人たちが入ってきたことでより発展した町と言って良いと思う。
現在のむつは地味だけど、そこそこの規模町だが、生活するには不自由がないぐらい発展している。
まあ、交通手段が弱いというのが弱点かもしれないが、スーパーにしろホームセンターにしろ充実していて
私の住む北部横須賀エリアより生活しやすい感じだ。

むつの町で、斗南藩の痕跡を探すと、やはり神社仏閣でヒットするものが多いが
地元の警察官もあまり気にしていないぐらいのさびしい状況ながら、大湊駅の海側に
この斗南藩士上陸之地がある。
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数年前「八重の桜」が放送された時、会津藩の話だっただけに
もしかしたら斗南藩も注目されるかと期待していたが、話題は会津から京都に行ってしまい大変残念だった。
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東北は、会津から北に進み
仙台の伊達政宗、平泉の藤原ぐらいまでが限界で
南部藩や津軽藩などもあまり注目されない。
話はそれてしまうが、古き時代豊臣秀吉に最後まで歯向かった九戸政実や南部の忠臣蔵 相馬大作などの話もドラマ化して欲しいものだが、あまりにローカルすぎるか・・・・まず無理だろう。

そんなことを思いながら、上陸の地に行ってみた。
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綺麗に整備されているが、観光客が寄るコースにはなっていないだろうと思われるほど地味だ。
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いまの時期は
はまなすがとても綺麗に咲いている。
この地から、方角的野辺地や青森方面をみながら、当時の無念さを感じざるを得ない。


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