数年ぶりに恐山に行った。
ここは言わずと知れた霊山で、亡くなったあとその魂がここにやってくると言われている、大変神聖な場所だ。
今では青森と言えば、恐山と思い浮かべるほどの有名な観光地になってしまったが
私の恐山の印象は、小学34年で担任だった教師が、三沢出身だったこともあり
授業の合間によく話をしてくれた。大変怖い印象は、耳からここで植え付けられた。
そして、水木先生や、つのだじろう先生の漫画を読み、今度は視覚で恐怖を味わった。
そんな恐怖を植えつけられた恐山に初めて訪れたのは比較的遅い
恐怖の幼少時代の印象から、むやみに近づくものではないと感じたからかもしれない。
しかし、いざ行ってみると随分と印象が違うのに驚いた。
このエリアに入るには、鬱蒼感のある山道を走る。
カーブ毎に石碑やた石仏が置かれ、昼間でも薄暗く少々怖い。
むつの町から丁度中間地点に、冷水がある。
車が沢山停まっているときなどは、何事か?と思うが
ここで冷水を汲んでいるひとも多い、しかしここは恐山に入山するための手水社的な場所だと私は思う
まずは、ここで清める。
あまり急激な高低差は感じないが、宇曽利山湖がみえてくるところになると急にあたりは開ける。
急に硫黄臭が激しくなり、綺麗な湖をのぞみながら駐車場に到着する。
今では、観光地化している恐山、綺麗なお土産屋も並ぶ
入山料500円を払い、中にはいる。
ゴージャスな門、社務所や宿坊などが見え、昔漫画でみた雰囲気は全くと言って良いほどない。
私は古き怖い雰囲気を知らない。
少々硫黄臭が気になるが、空気はとても気持ちがいい。
しかしこの硫黄臭は、下山後数日は鼻に残っていた。
入って右手で御朱印をおねがいし、立派な山門をくぐり本尊を参拝する。
以前参拝したときは、
あたりの硫黄などで風化が進んだ石灯篭が置いてあったが、新しくなっていた。
ますます怖いイメージが消えてしまっている。
聞くところによれば
この広々したエリアは、その昔硫黄などの採掘場だったらしい。
飯場や、遊郭まであったというから驚く。
今は霊山と言われる恐山も、イタコなどの口寄せが行われるのは戦後になってからで
それまでは今とは全然違う、狭いエリアでの地元の信仰の場だったようだ。
そう考えると、なんとなく印象も変わってくるが
私はここにくると不思議と体が軽くなった感じがする。
なんとなく違う雰囲気は感じる。
以前、私の後ろを歩いていた2人組みの女性が急に泣き出した時は正直怖かったが
私にはなにも起こらなかった。私の霊感なんてものはその程度だ。
参拝後左側に歩き、地獄めぐりをする。
明るいときに歩くので、荒廃した火山にでも行ったような観光者気分だが
暗かったらものすごく怖いと思う。正直1人では歩けないな。
ところどころに置かれた風車が、あまり風を感じないのにくるくる回りだすと正直ドキっとする。
高台まであがり、歩いてきた道を振り返ると
荒れた土地よりも設備の立派さに驚いてしまう。
こんな荒れた土地でも植物はしっかり育っているが
目立つものは漆だ。
なんとなく皮膚がむず痒くなるのはこのせいかもしれない。
奥に進むと有名な血の池地獄がある。
前回は清掃中だったし、今回も普通の池だった。
久しく赤い池を見たことがない。
賽の河原と呼ばれるエリアから、宇曽利湖を望めるが
ここが地獄と天国の別れ道となる。
綺麗な白い砂浜は、南国の海を思い浮かべてしまうが、なんとも不思議な光景だ。
私は、この湖畔に佇むのが好きだ。
不思議とここにくると、10年以上も前に亡くなった祖母を思い出す。
湖側から吹く風にあたりながら、目をつぶるとなんとも言えない気分になる。
しかし今回は、気持ちよさより背中のぞくぞく感が収まらなかった。
死んだ祖母は、
ものを買ったりすると、それは買うべくして運命づけられたもの
旅行などをすると、それは行くように運命つけられた場所と良く言っていた。
そんな祖母の教えは、生活の中で感じることは多々あるが
急に数珠を買わないとと思い立ち、購入したら祖母が亡くなった。そんなことがあった。
単なる偶然だと思うが、
通常の生活では使わないものを急に欲しくなったり購入したりすると
なにかある? きっと買うべくして買ったものなんだと思うようになった。
久しく祖母の墓参りにも行っていない
今回の恐山来訪は、たぶん祖母が呼んだのだろう・・・