ドブ板を過ぎて海軍カレーで有名な、魚藍亭を越えたところに諏訪大神宮がある。
ここは、この界隈の神社の取りまとめ的な場所で、我が家の氏神の神明社もここの管轄になる様だ。
実はなんどもお参りに行っているが、お守りを売っているだろう小屋はいつも無人で、ここは御朱印なんかやっていないんだろうと毎回諦めていたが、小さい張り紙があって、そこに下の瓦屋根の家が社務所・・・みたいな記載があったので行ってみた。
ブザーを押すと、初老の男性が出てきて、御朱印をおねがいすると快く応じてくれた。
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結構時間がかかるなあ・・・・と待っていると

御朱印帳を手渡された時に
「どこで書いてもらったんだ・・・」と少々強い口調で
それは、ある神社の御朱印の日にちが、間違えていてその部分を修正テープで貼って
書き直しているものへの指摘だった。
書く前に、御朱印帳に記載された他の神社のものをしっかりみていたのだろう・・・

御朱印は、頂く側も心構えあるが
当然書き手も必要。

一字一字思いを込め、しっかり書くことは当然のことで、もらう方は簡単な気持ちで頂いているが
神様を帳面に移して頂くことに値するわけで、書き手もその思いを込めている。
なので、誤記などあってはいけないし、他の神社や寺の墨や印で汚してもいけないもの(これは奈良の大神神社で言われた)当然もらったあとの保管や、移動中の仕舞い方も細心の注意が必要。

神主の言いたいことはもっとものことなので
最近の御朱印のありかたについても考えさせられる。
神社の運営に資金は必要で、色々なイベントをやったり
変わった御朱印をつくって人気を集めるのも、それはそれで否定するつもりはないが
御朱印の意味をしっかり見直さなくてはいけない。
神主が言いたいことも理解できる。
ここの御朱印は、単純明快で気持ちがいい。
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