一の宮の神社は、日本の律令制に基づいて設置された地方行政区分で原則1社設置されている。
律令制区分の名称は、現在の都道府県の前の区分で、中学生の頃必死になって覚えたこともあり、いまでもすべてではないが記憶している。当時意味がないと試験のために覚えた感じだったが、思えば当時覚えたことが大人になって役になっている一例だ。

今回散策した八戸界隈は、陸奥国となる。
陸奥と言えば、今で言うと青森全域と北部岩手・秋田と言ったイメージで考えればいい。
青森県と言えば、未だ旧藩堺が明確になっているエリアで、大まかに考えると青森県の左側が津軽藩、右側が南部藩だが、その歴史を遡ると秋田岩手の一部を含め青森すべてが南部藩の領地だった。
しかし、津軽藩の裏切り・・・と言っては語弊があるが、で大きく2つに分裂、その後も両者のわだかまりは溶けていないようだ。現在の若者にはその境界は殆どないと思われるが、我々の両親の世代までは、津軽、南部とそれぞれの出身地に深くこだわり、お互いを罵り合っていたらしい・・・・孫の代までも・・・とよく言うがまさにその言葉通りのようだ。

古い歴史を遡ると、南部の中心は岩手寄りと考えれば今で言う八戸の方がメインだと思われるが
全国一の宮の区分では、津軽(弘前)の岩木山神社が選ばれている。
多分、南部の括りを考えると古い地方行政区分では陸中も含まれるので、陸中の駒形神社が総鎮守となっているのが陸奥と区切られてしまうとなんとなく不思議な感じもする。

前段が長くなったが、今回訪れた櫛引八幡宮、
私は昔から陸奥の一の宮はここだと思っていたが、調べてみると南部の総鎮守であることがわかった。
現在全国一の宮と区分けされた神社のもう1つ細かい区分分けとなるのでしょう。
櫛引八幡宮は八戸の山側に位置し、ひっそりとしているが、見事な神社である。

もう少しくどい説明をすると
青森県には国宝が3つある・・・・というか3つしかない
八戸の土偶となんと櫛引八幡宮に保管される赤白2種の甲冑の3つ
土偶と言えば津軽亀ケ岡の遮光器土偶が有名だが、この土偶は重文に留まり八戸の合掌土偶が国宝にしていされているのも面白い。
そんな由緒のある八幡宮だが、
私がここを好きな理由は、雰囲気もそうだが香りにある。
駐車場に車を停め、外に出るとすぐに感じる杉の香り、シダーウッドですね。
花粉で悪い木に思われる杉だが、とても香りの良い木で私は大好きです。
父方の祖母が住んでいた宮城県蔵王町の家にも北側大きな杉林があり、子供の頃からその香りに招かれる様に杉林を歩くのが好きだった私は、この神社を参拝するたびに子供の頃の記憶がよみがえってくる。

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御朱印を頂きに社務所に寄り、御朱印帳を渡した。
今回、全国一の宮には分類されていないが、一の宮には代わりがないので、どうしても一の宮の御朱印帳に記載してみらいたく、神社名が書かれていない末尾に含まれる予備紙に記載してもらった。

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この御朱印帳でもらう人は当然いないようで
渡した時に、大きいですねと驚いていた。
大きい御朱印帳の場合、文字も大きくなるが達筆の場合、とても見事である。
日付など小さく纏めて書くより、これだけ大きいと余裕を持って書けるので、神主も多分描きやすいと思う。