瞽女とは、村から村へ、三味線を弾き祭文松坂を歌い、閉ざされた山国の寒村に娯楽を持ち運んだ盲目の女芸人のことである。
 
と本書のまえがきに書いてある。
 
おじさん宅に飾ってあった悲しげな女性の絵が物凄く印象的で
この作者について訪ねたことをきっかけに、いろいろと調べてみることになった。
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いろいろと話を聞いても、やはり目に見えるものがないとあまりイメージがわかないので
本を探してみると、この本が見つかった。
 
高田瞽女と呼ばれる人たちの、今で言う密着取材的な感じで
絵と日記がまとめられている。
 
私も、東北に住む機会が多かったし、厳寒の地の厳しさは知ってはいたが
あらためてこの本を読んで、涙してしまった。
 
私の両親の実家は、南東北の太平洋側で
比較的温暖な地であったが、大正生まれの祖父は
幼い頃、利き腕を負傷してしまい、とても苦労した人だった。
私が幼かった頃、まだ出稼ぎをしていた。
冬場東京の工事現場で働き、週末良く泊まりにきたので、いろいろと話を聞くのが楽しみで
祖父は読書と歴史好きだったこともあり、良く漢字や歴史を教えてもらった。
古くは坂東太郎の話、
義経が平泉から逃げ伸びたこと
宮城県蔵王町界隈に、真田幸村の子孫が生きていること、
伊達政宗のNo.2片倉小十郎のことなど、当時の学校教育では教えてもらえなかった歴史を
いろいろと教えてもらい、その後の私の歴史好きにつながった。
 
涙しながらこの本を読みながら
祖父が、瞽女さんのことを教えてくれたことを思い出した。
瞽女さんと言う言葉は正直、記憶になかったが、冬場娯楽のない寒村に三味線などを弾き娯楽を届けた
話は、子供心に信じられない反面、とても気にはなっていたが、正直この本を見るまでは忘れていた。
 
話は、作者の斎藤真一さんに戻すが
おじさんは、もう記憶が曖昧で、家に飾る絵が好きだと言うことだけで、詳しい話はできなかったが
おばさんには、いろいろと話を聞けた。
高田出身のおばさんは、幼少の頃から身近に瞽女さんがいたらしく、良く食べ物や松の葉(寸志)を渡していたらしい、比較的家柄が良かったおばさんなので、瞽女さんの生活まではわからないが、当時
自分の母親や祖母から聞いた瞽女さんの話を教えてくれた。
 
そんなことで、どうも作者の斎藤真一さんにも直接会っているし
直接絵も買った様だ。そんな一枚が家に残っているらしい。
 
そんないろいろな思いが含まれる大事な絵
と言っても斎藤さん独特のタッチの灰色っぽい顔の絵ではなく
色鉛筆のスケッチみたいな絵なのですが
居間に飾るには少々、重い印象があり、寝室に飾ることにした。