昨日は、我が両親と墓参りに宮城蔵王まで行ってきました。
東京を朝5時出発、夕方5時に戻ってくる強行軍です。
 
東北自動車道は、浦和から白石までほとんど霧の中を走った感じ
物凄い規模で霧になっていました。
道路は、時間も時間なので渋滞も無く、快適に走れました。
 
今回は、墓参りと親戚数名に会う他は、予定がなく
それなら、蔵王町に残る歴史的ゾーンを見学することにしました。
 
蔵王町は近年真田幸村の子孫・・・仙台真田の町として宣伝しています。
豊臣家の武将として有名な真田幸村、大阪の陣で敗退する前、自分の敵である
片倉軍に娘ら預けたそうです。
敵でありながら託されるということは、やはり片倉はすばらしいですね。
そして、戦の後宮城に戻り、伊達の庇護のもと、現在の蔵王の地に領地を与えられ住んでいたそうです。
あまり知られてていない歴史ですが、とても興味深い内容です。
 
さて、今回の散策に戻ると
事前のチェックは完璧なので、ネットで調べた場所と親父の記憶を合わせながら
まずは、矢附と言うエリアの神社に・・・
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霧が幻想的です。
あたりは一面田園地帯ですが、この霧でちょっとした高原をイメージさせます。
 
鉾附神社・・・
奥州前9年の役を収めるため、朝廷が派遣した武将、源義家
八幡太郎義家と言った方がいいですね。
東北では英雄視されている、武将、弓の達人でもあります。
 
彼が隣町の白石の峠から放った矢は、数十キロ飛び、この地に刺さったとの伝説です。
無くなった爺さんが良くこの話をしていていました。
八幡太郎の弓は、大人が数人ががりで引かないとだめだったとか・・・どんだけの大男か?って感じですが
子供の頃の私への影響力は大きく、当時私の中の一番の英雄になりました。
 
当然私の親父もその話を聞いているし、地元ですからこの言い伝えは有名なのでしょうね。
でも親父は鉾附神社ではなく、矢附神社・・・・その土地の神社として覚えていた様です。
 
当然と言えば当然、親父は中学卒業と同時に東京に出てきた、いわば金の卵といわれた世代
この蔵王には10年ぐらいしか住んでいなかったから、実は私の方がこの土地には詳しいんですね。
60年ぶりぐらいにここに着たと言っていました。
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祠があるだけの神社なので
観光地的な訳でもなく、ひっそり・・・・
 
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灯篭が倒れていたりと
震災の影響を感じます。