私の実家から一番近い大きな町が上野でしたから、子供の頃から良く訪れていました・・
 
親父もお袋も、昭和30年金の卵といわれた世代なので、上野駅の印象がいつまでも忘れない様で、出かけると上野って感じでした。
子供の頃は、やはり上野動物園が目的で、
初めてパンダが来た時も、物凄い行列の中並んでみました。
帰りは西郷さんの下の聚楽台で食事をするのが定番なルートでした。
そんな懐かしの聚楽台も現在取り壊しが進み、新しい建物へ変化を遂げ始めています。
 
中学高校になると、
上野は、洋服の聖地と化し、上野の客層も変わってきましたね。
上野で買って渋谷で着て歩く・・・渋カジといわれた、その洋服たちは上野で買っていた人が多かった
それだけ、上野には若者向けの店が多かったんですね。
 
老舗マルゼンさんでB級のリーバイスの501を格安で買い、
当時made in americaの商品が物凄く人気だったので、アメ横はもってこいの場所でした。
アメ横これはアメヤ横丁の略で、アメリカ横町と勘違いしているひとも、未だにいます。やはり外国物の商品が沢山扱われたいたところから、そう思ってしまった人も多かったのでしょうね。
安いと言っても、当時アメリカものは高かった、それはアメ横であってもね
なので、おずかいをもらっている学生のぶんざいではなかなか買えるものではなかったから、アメ横内を色々と巡り一番安い店を探して買ったものでした。
 
当然、アメ横といえば、
刺身や乾物類が安かったですから、大人たちはそれを目当てに着ていましたね。
当時高級だった革ジャンや珊瑚などの宝石類を売っている店の横が魚屋だったり、酢蛸の匂いと革ジャンの匂いが混ざり合った、なんともいえない雰囲気の中で物色したものでした。
 
今でも売っている割り箸に刺さったフルーツ、
パイナップルなんか結構高級品だったから、ここで100円で食べるのを楽しみにしていたりしました。
今でもまだ100円で売っていますね。
 
そんなアメ横で未だにお付き合いがあるのは
アメカジショップのhinoyaさん、ためにアメリカ屋さん
先日、サービスシューズM43を買ったばかりですが、かみさんをつれてくるのは久しぶりなので
覗いてみました。
当然、フライトジャケットや革ジャンには興味がないので、普通のシャツやTシャツを物色していると
これは可愛い・・・と
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猿をモチーフにした、GO-COOのTシャツが気に入った様で
娘に電話をしながらデザインを確認し、買っていました。
 
午前中に上野入りしましたが、あっと言う間に3時を回り
駐車場から車を出す時、あまりの高額料金にちょっとショック・・・・でした。
確かに上野の一等地・・・・鶯谷とは違うよね(笑)