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私は、幼稚園ぐらいから都営住宅・・・言い換えれば団地に住んでいました。

金の卵と言われた世代の両親が、昭和30年代に東北から、東京に就職し・・・結婚当時は6畳1間で、当然風呂は銭湯・・・そんなスタートから、鉄筋コンクリートの5階建て団地、風呂もトイレもついているし部屋も2部屋と、この引越しは本当にうれしかったと、今でも良く話します。

なので私は、殆ど水洗トイレ・・・それも洋式で育っています。

当時団地のトイレは殺風景なもので、トイレと風呂は同じ・・・仕切りが無い作り、でも当時はみんな同じ団地に住んでいたから気にもしていなかったけど・・・高校になって、横浜方面の裕福な友人を家に呼んだ時、お前の家の洗面所は、まるで牢屋のつくりだな・・・と言われショックだった想い出もあります。
確かに、アメリカ映画をみると1部屋にベットとトイレ・・ですもんね、言われて当然かも。

そんなトイレですが、洋式および水洗になれてしまった子供の私には、古い日本の和式・・・それも、通称「ぽったん系」は、物凄く苦手でした。

親父の実家の蔵王は、綺麗な空気、美味しい水、数々の果物と自然など、申し分がなく子供の頃からここに住みたいと思っていたほどですが・・・トイレだけは嫌いでした。

虫は飛んでいるし、なによりトイレの中から・・・なんとなくゴー・・・と音が聞こえる、ここが物凄く怖かったんですね。

それでも昼間は我慢していましたが、夜・・これはもう恐怖の極み・・・なので、外でやっていました。

でも、田舎ですから外も怖い・・・なので出来るだけ光に近いところ・・・ってことで、玄関先になってしまうんですね。子供だし、他のことなど何も考えず・・・恐怖との戦いのみでした。


当然、早朝、物凄い形相で祖母に怒られるのですが、祖母よりトイレの方が怖かったので、選択の余地はありません。
今思えば、笑ってしまいますが、でも和式は未だに嫌ですね。

しかし、母親の実家はもっと怖かった・・・

母は福島の山の中の出身なのですが、ここはその昔はそれなりの家だったところで、家も大きいのですが古い・・・なので、家の中にトイレが無いんですね。

家から離れたところにあります。
それも足場も全て木で作っている古いもの・・・これも恐怖でした。

夜の恐怖に加え、みしみしと音を立てる木の頼りなさが、落ちるのでは・・・その恐怖も加わり、大変でした。
なので、少なくても小学生の時は、夜中でも両親に外で立ってもらっていました。

朝から、トイレの話なんて・・・申し訳ないですが、ふと思い出して笑ってしまいました。