イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

先日紹介した、「末の松山」
数少ない古歌に詠まれる東北の地の中で、これまた有名なものがこの「日本中央」ですね。

「つぼのいしぶみ」と詠われています。

藤原清輔、西行、そして源頼朝までもが詠っているつぼのいしぶみ・・・・

東北では有名な坂上田村麻呂がやじりで掘ったと言われています。沢山ある彼の伝説の1つですね。

しかし、田村麻呂は盛岡ぐらいまでしか赴いていないらしく、本当のところ・・・これも確かではないですが後の征夷大将軍の文室綿麻呂が、実際は掘ったとされています。

さて、この日本中央とは・・・
この「日本」の意味は、「ひのもと」と訓じて東北地方を指す言葉であったそうです。
色々な解釈があるようですが、東北とは昔で言う蝦夷ですね。
なので、当時の人は、広い蝦夷もこの辺が真ん中って感じで彫ったのでは・・・と推測されますが、定かではありませんね。

古くから詠われていながらその場所が分からず、明治時代になって明治天皇の命により、伝説にある千曳神社を中心に大々的に調査された様ですが、発見できなかった・・・それが、昭和になって神社からちょっと離れた場所で地元の人間が、偶然見つけ有名になったそうです。

今は国道4号のみちのく道の入り口付近の自動車教習所の横に保存されていますが、それまでは屋外に置かれていたようです。
大きさは1.5mと言ったところ、クリーム色した石ですが、なんとなく作りもののの様な感じ・・・でも触ってみると硬い石に間違いないです。
薄っすらと彫ってあります。

そして、この保存館の中には、先日テレビで放送していた棟方志功さんの作品が飾ってあります。
志功さんは言わずと知れた青森の人ですね。
昭和48年に、奥海道棟方版画の製作のためこのいしぶみを見学し

「よごれのない、なだらかな文字から見てスケールのおおきなおうらかな人物が書いたものに間違いない。南方も北方もない大きなつながりを願う心が感じられ、僕の旅はこの石碑に出会っただけで十分だ。」と語ったそうです。

志功さんらしいコメントに、また感動してしまいました。

私も石に触れ・・・太古のパワーも貰った気がします。