十数年前になります。
当時Jリーグチップスというお菓子を好んで、購入していました。
選手のカードが一枚付いているのです。
その最初に出逢ったカードが中村俊輔選手。
そしてその時に初めて中村俊輔選手を知りました。
気がついた時には俊輔を追いかけたい一心で、サッカーを始め、一人で練習するときには俊輔の代名詞でもあるフリーキックの練習をしていました。
2000年頃からは俊輔が出場する試合は全てチェックし、テレビの前から応援。
ちょうど10年前になる2002年W杯メンバー選考発表のときは、テレビの前で泣き崩れていました。
それでも俊輔が悔しさをバネにイタリアに行き、イギリスに行き、スペインに行き。。。
いつの間にかサッカー選手としての中村俊輔よりも人としての中村俊輔を追いかけるようになりました。
一人のファンとして言えることは、俊輔は決して常に輝いていたわけではなかった。
日本代表の10番を8年間背負ったその輝かしい栄光の陰には、辛いサッカー人生もあったということ。
それでも、どんな壁にぶち当たっても俊輔の逃げない姿勢。
サッカーを辞めない姿勢。
心から尊敬しています。
まだ記憶に新しい2010年南アフリカW杯。
直前のシステム変更により俊輔はメンバーには選ばれたものの、3試合でわずか30分弱の出場に留まりました。
大会前の日本代表は他の国との親善試合でなかなか勝つことができず、その原因は俊輔にあるなどメディアは俊輔を批判しました。
それによりアンチも増え続け、本番のW杯で脱俊輔布陣によりベスト16入りを日本代表は果たしました。
プロの世界ですから、もちろん結果が全てです。
そしてエースであった中村俊輔を批判するのは仕方ないのかもしれません。
ですが、忘れてはならないのは批判され続けている中、俊輔が南アフリカの地で孤独と闘いながらチームのために全力でサポートしていた姿があったこと。
試合に出れなくてもベンチから自分にできることは何かと一生懸命考えていたこと。
今まで試合にエースとして出ていた選手がいきなりベンチとしての仕事をするというのは決して簡単なことではありません。
精神的にも非常に辛かったと思います。それでも悲しみを堪えて日本代表として最後の仕事をしてくれた俊輔。
大きな財産を今の日本代表に残してくれました。
私は南アフリカW杯を通じて今まで以上に俊輔を応援しようと誓いました。
現在マリノスでキャプテンとして活躍する俊輔をこれからも全力で応援します。
最近、ぐるっぽを作りました。
皆さん一緒に俊輔を応援しましょう!
『中村俊輔ファンコミュニティー』
Android携帯からの投稿

