政の想い【キングダム】

「申し上げます!!」
戦争中に駆け込んで来る伝令ほど心臓に悪いものはない。
そして駆け込んできた様子で、悪い情報なのはなんとなくわかる。
男は、扉を開けた勢いそのまま倒れ込むように跪き、拳を手のひらにあわせて礼の姿勢を取る。
大王である政は動かない。金色の大きな寝具のような玉座に座り見守る。
「何事だ。」
その場に集まる文官達の長である昌文君が尋ねた。
「は!趙国総大将、龐煖により夜営地が襲撃され、多数の犠牲を出した模様!正確な人数はまだわかりませんが、かなりの人数が倒れたようです!」
「なんだと!?その襲われたのはどこの隊だ!?」
昌文君の怒声のような質問が飛ぶ。
政は心臓の音がうるさいと感じていた。
「は!徴兵された農民歩兵達の夜営地で、確か飛信隊と!」
音がなくなった気がした。
飛信隊・・・
飛信隊とは、信が隊長をしている百人隊ではなかったか。
思わず立ち上がる。
昌文君の声が遠い。
「飛信隊だと⁉被害はどうなっている⁉隊長はどうなった⁉」
靄がかかったような耳が、昌文君の焦った声を拾う。
「それが・・・龐煖により半数近く倒されてしまい、なんとか立ち向かった隊長も破れ、その後趙国軍も現れたため、散り散りに逃げたようです。隊長の安否はわかっていません!!」
伝令が膝をついて頭を下げたまま声を張り上げている。
きちんと耳が捉えている。しかし脳が理解できない。
今何といった。
飛信隊が襲われ壊滅状態だと?
隊長は安否がわからない?
そんな馬鹿なことがあるか。あいつは強い。信は強い。絶対勝って帰ってくるはずだ。
グラッと床が揺れたような錯覚に襲われ、ドサリと玉座に座る。
「だ、大王様・・・」
それに気付いた昌文君が、慌てて玉座を見上げて政に声をかけた。

大丈夫だ。

声を出したつもりだったが出ていなかった。
グラグラと玉座が揺れているようだ。
『政!』
いつも大きめの声で呼ぶ声と笑顔が浮かぶ。
大王である彼を呼び捨てにするのは信だけだ。
勇敢に戦う背中を覚えている。
「大王様!!」
昌文君の声で我にかえる。
今はそれどころじゃない。
一つの隊が奇襲を受けて壊滅したかもしれない。
その規模は。被害の状況は。いったいどれだけの者が生き残っている?
なぜ襲われたのか。その拠点に何かあるのか。総大将自ら夜襲をかける意味とは。そこからどう戦況が変わる?
考えることがたくさんある。
政は再び立ち上がる。
自分の半身のように想う男を失うかもしれない、その恐怖は震える足に隠して、政は声を張り上げる。
「被害の確認を急げ!情報を集めろ!」
「はっ!!」
伝令が礼をして飛び出して行く。
集まっていた大臣と軍師が地図を前に口々に対策を講じる。
新しい情報はいつ届くのか。
玉座にどさりと腰掛けた政はそのまま腿に肘を付き頭を抱えた。
呼吸が浅い。うまく空気が吸えていない。肺に入ってこない。
頭を支える両の指先が震えている。
体が冷たい。
『政。』
呼ばれた気がして弾かれたように顔を上げる。
右肩に手の温もりを感じる。
『ちょっと外の空気、吸おうぜ。』
(ああ、あの時だ。)
唐突に思い出した。
王弟の反乱を制し玉座に戻ってから。
その騒動を傍観していたこの国の最有力権力者の男、呂不韋。
彼が遠征から帰ってきた折、面会をしたその傲岸不遜な態度に逆上し、彼が退出した後玉座に当たり続けた。
どんなに蹴ってもどんなにそれで足が痛んでも止められなかった。
それを止めたのは、玉座へ上がる階段を駆けのぼった信だった。
あの一言で冷静さを取り戻した政は、二人で風に当たりに外へ出た。
第一の側近である昌文君だって玉座に上がることは許されてはいない。大王以外の何者も上がることを許されない。
それでも信は政を止めるために、そこへ立ち入り大王の肩を掴んだ。
平民どころか更に身分の低い下僕の出だ。その重さを本当には理解できていないかもしれない。初対面だって、大王の座を追われた男と、身代わりにされ殺された男の親友という、微妙な立場で出会ったのだ。憎しみを向けられた瞬間もあった。
それでも政ではなく、実際に親友を倒した暗殺者を敵と定め、その反乱を起こした張本人、王弟成蟜を倒すことに命をかけてくれた。
その後、大王の座に再び着いてからもずっと態度は変わらなかった。
政と呼び、傅かず隣に並んで同じ目線で世界を見てくれる。
かけがえのない友人になった。
生まれて初めての友人。そして中華統一という大きな夢を支えてくれる大切な同志。
天下の大将軍になる。
下僕の少年が見るには壮大すぎる夢を、自信に満ちた澄んだ目で語る。
あの屈託のない笑顔を思い出し、震えが止まる。
(大丈夫だ。)
あの男は大丈夫だ。きっと生きている。
深呼吸をする。空気が重い。こんな空気を吸っていてはだめだ。気が滅入る。
政は外の空気を吸うために立ち上がった。


先に出会ったのは漂の方だ。
王宮内の不穏な空気に勘付いた昌文君が、もしもに備えて用意した影武者。それが信と一緒に育った、政にそっくりな下僕の漂だった。
彼は下僕らしからぬ知性と理性を持ち合わせ、後に出会う信とは正反対の人物だった。
もしもの時は大王の代わりに死ぬ役目だと知った時も、これ以上ない光栄な役目だと目をキラキラさせて答えるほどの豪胆さ。
結局一年ほどの関係ではあったが、その間に話してくれた内容は、ほとんどが同じ村長の家で下僕として暮らしていた信という男の話だった。
『大王様。もし私が倒れた時は信にお掴まりください。あいつはきっと、誰よりも高く跳ぶ。』
そうやって、宝物のことを話すような様子に、ほんの少しだけ嫉妬していた。
生まれてから一人として友と呼べる者はいなかった。そして大王である限り、これからも友は出来ないだろう。
しかし同じ顔を持つ漂には、こんなに大切に想える友がいる。きっとその信という男も同じように漂を大切に想っているのだろう。
そんな見たこともない男を羨ましいと、心のどこかで感じていた。
何事もなければこのまま漂を側近にすればいい。
友にはなれなくても、近い歳の話し相手として召し抱えたい。そう思っていたのに。
運命はやはり政から漂を奪った。
散り散りに逃げた場合の、待ち合わせの小さな小屋。
待つ時間は途方もない時間に思えた。
そこに現れた同じ歳くらいの男は、漂が持っていたはずの王家の剣を持っていた。
一瞬で、淡い期待が打ち砕かれたことを察した。しかし落ち込んでいる場合ではない。漂が倒れたとして、それが偽物だと気が付かれない保証はない。
幼い頃から鍛えた鉄の意識で思考を切り替える。
だが信は、わけもわからず嘆いて喚くだけだった。
漂がどれほどの覚悟を持って王宮にいたか。大王として政と同じ服を着て、王家の剣を持って飛び出して行ったあの勇気を。
ただ嘆くだけで先に進まない彼に、苛立った。
他人を身代わりにして自分が生きることなど、大王でなければしたくもない。
だが政は大王で、どんな犠牲を払っても生きなければならない。
それを理解して命をかけてくれた漂への愚弄に感じた。
一緒にはいられない。漂と顔は同じでも、中身が違う。信とは合わない。
だが腕は立つ。
漂が言った通り、信は強かった。
だから選ばせた。
漂を死なせる原因となった政と一緒に王宮を取り戻すか、このまま村に帰って下僕として生きるか。
もちろん漂と信が目指している大将軍になるには、下僕のままではだめだ。武功を立てるための戦に出られない。
二人の夢か、漂を失った激情か。
もちろん信は迷いもしなかったが。
『おい政。』
自分の名前を初めて呼びかけられた瞬間、無礼だという憤りを感じなければならないはずなのに、感じたのは純粋な驚き。
自分を一人の人間として呼んでくれた。
たったそれだけで戦い続ける勇気が湧いた。


冷たい風が髪をさらう。
王宮から城壁の上へと繋がる広場。
ここでよく政と信は二人で話した。
他に誰もいない二人だけの会話は、大王の言葉ではなくただの政という一人の人間の言葉になる。
“中華統一”
そんな大それた夢を本気で語れる。そんな相手は他にいない。
信はあの大きな笑顔で『いいじゃねぇか』と笑った。
態度は悪いし口は悪いし頭も悪い。
目上の者に対する態度がなかなか改まらないが、政に対してだけはそれで良い。
ただ信は優しくてまっすぐで折れない。
それにどれだけ救われたことか。
それだけではない。
初陣で、ただの一般歩兵として参加したはずの戦で、気が付いたらなぜか馬に乗り歩兵を率いていたと言う。
意味がわからない。
更に副将の首を獲ったと言う。
まったく理解できない。
初陣の農民歩兵が本陣の中枢に関わっているなど信じられるものか。
政は伝令から信の名を聞いた瞬間は、本当に何が起きているのかわからなかった。
ただそれが国に貢献したことは明らかだった。それのおかげで戦況は大きく好転し、勝利を収めることができたと言える。
その功績は初陣としては異例で、歩兵からいきなり百人将に任命された。
そしてまた次の戦が始まり、わずか一日で敵国の将軍の一人を落としたと言う報告が入った。
しかも討ち取ったのは飛信隊と言う、百人隊の隊長である信だ。
他にも戦況はどんどん上がってきており、他の武将達も功績は上げている。
倒した者、倒された者、戦場ごとに名前が飛び交う。
しかしその中でも信の名前は異常だった。
本来兵を率いるのは軍人の役目だ。農民が隊長になるなど、よほどの戦場を駆けて武勲を上げていくしかない。それは武家に生まれた者より遥かに遠く厳しい道だ。それをまだ初陣を終えたばかりの少年兵がやってのけている。
信は、政の心だけではなく、国を支えられるだけの資質を持っていると示していた。
それでも、戦争中の伝令は肝が冷えた。
いい知らせだけとは限らない。戦況が有利だとしても倒れる兵はいる。
武功を告げる名前の中に信の名前があるだけで生存確認ができる。
天下の大将軍になる。
信のその大きな夢を叶えるには、途中で倒れるわけには行かない。
そして政の中華統一の夢を叶えるには信が将軍になるのが最低条件だ。
王宮での政の権力はまだ小さい。
最有力者である呂不韋には配下の将軍の数も大臣の数も足りない。
ならば大将軍という一番大きな将軍の立場を信が取れればいい。
言うは易いが実現は難い。
無茶なことだとわかっているが、政が正式に王として認められる二十二歳の加冠の儀までに、中華を見渡せるところまで行かなければならない。
だとするとその時には横に信に立っていてもらわなければ困る。
政にも信にも時間が足りない。
しかし信は時間を無駄にせず、勇猛に戦い武功を上げて信じられない速さで上ってきていた。
その姿に、政も勇気づけられ、力付けられていた。

「まだまだだ。」
城壁の更に壁の上に立つ。
戦場は遠すぎて全く見えない。
戦に出る前、今回の総大将を任命された王騎将軍と共にいた信は、この城から出陣して行った。
出る時に声をかけると、いつものように不遜な態度で『たくさんの大臣の前でお前に任命されるのは悪かねぇ。』
と笑っていた。
政はただ武運を祈ることしかできなかったが。
「まだ、何も俺からは与えていないぞ、信。」
風が髪をなびかせる。
「叙勲も、任命も、俺はまだお前に何一つ行えていない。」
ただ与えられているだけだ。出会った時からずっと。
あの時一緒にいた部下にも、大王である手前声をかけると面倒なことになるのでいないものとして話を進めたが、本当なら労いの言葉もかけたかった。
信に振り回されているであろうことは、容易に想像できたから。
「帰って来い。信。お前に預けてある王家の剣と共に。まだまだここで終わるお前じゃないだろう。」

高い空を大きな鷹が飛んでいた。


                 ・・・・・・完