私がボランティアをするきっかけ

 

ニャン友ねっとわーくの譲渡会に行ったこと

一緒に暮らしていた黒猫の「さく」を亡くした

私のパートナーが可愛がっていた連れ子

初めて私の腕の中で逝った子

自分の無知を後悔して、しばらく立ち直れずにいました

 

息子が「猫飼えば?」と、言ってくれた

あの時は見ていられなかったと後から聞いた

でも、さくに悪い気がして一生動物は飼わないと決めていた

 

半年が過ぎ、ずっと心配してくれた友人から、見るだけでも行ってみないかと譲渡会に誘われた

譲渡会ってなんですか?の私

家に帰っても私の毛繕いをして、顔を舐めまわしてくれる

「さくがいない」

猫の感触に飢えてた私は半分嬉しがっていた

ですので行ってみた

 

 

譲渡会で耳にする言葉

「もらうのにお金かかるんだ タダじゃないんだ」

私もそう思った

かかった医療費を負担してもらうことで、次に保護する子に医療を受けさせることができる

その時初めて知った

万単位もかかるの?高いー。と思ったけど

普通に病院に行くよりずっと安いことも知った

 

 

猫かわいい!!となるかと思ったが

様々な環境から救われた猫達

保護までの恐怖や苦痛を感じて

心がずーんと重くなった

 

 

預かり場所にも限りがあり、1頭譲渡が決まれば保健所から1頭引き出せる

殺処分から命を救える

ここにいるのはほんの一部

そんなことも知った

 

 

現実を知ってどよーんとしていた
 

 

そんな会場内で、ひときわ高く大きな「レオードキドキレオードキドキ

と愛があふれる声

えりんぎさんでした

皮膚疾患でライオン刈から復活した黒猫レオ黒猫

さくに似ていた

病気のこと、病院のこと、いろいろ教えてくれました

何より猫を大切にしてました 一生懸命さに

心がほわーっ虹となったこと、忘れられません

 

小さな頃から猫と育ったが駆虫やワクチンなんか知らない

さくの先代までは避妊はしたものの、外と家を自由に行き来させる太古の飼い方しか知らない私には驚きでした

 


 

 

もうひとり、気になったのはカラスにつつかれ片目の無い黒猫ジョニーくん黒猫

この子もさくに似ていた

どちらも1歳だったかな?

 

 

わたしにも何かできないか

仔猫は里親さんが決まりやすいから

おっきぃ子やハンデのある子を・・・

と、気付けば家族をさがしていた

 
 
黒ちび3兄弟もいたができるだけ目をそらし
ぐるぐるぐるぐるケージを回り、着ていたセーターをひっかけ引き攣れるまでぐるぐる悩んだ
結局1頭になんて決められないと帰宅
 
 
どんより気分でパートナーに相談
見に行くかと一緒に行ってくれた
ほんとか!ベイビーしっぽフリフリわーいわーいしっぽフリフリ
すぐに会場へ戻り、レオとジョニーを紹介
却下されたゲッソリ  驚いたしふてくされた
 
 
理由は「想い入れが強すぎる」
この子たち自身ではなく、さくを見ようとするだろう
ということだろう
 
 
一度言ったことは曲げない、譲らない彼
悩むがいいさと心に秘めて、じゃあ決めてくれと言ったら
あっさり黒3兄弟の一番やかましい子に決めた
黒くて猫という以外は、さくと似ていない
ピンクの首輪の黒豆チェルシーだった
 
 
友人に報告すると驚いていた
ピンクの首輪の黒ちび、ケージから手を伸ばして私のセーターを引っ張っていたと教えてくれた  運命だねって
知らなかった 
引き攣れの原因はおまえか!
 
 
後日、レオとジョニーはどうなったか気になりまた譲渡会へ
参加していないがまだ決まっていないと教えてくれた
 
 
おこがましいけどみんな幸せにしてあげたいと思ってしまう
何かしてあげたいが何もできない
泣きそうになりながらボランティアさんにモヤモヤをもらした
 
 
すると、
「その気持ちだけでいいんだよ。その気持ちで十分」
と言って、ぎゅーって抱きしめてくれた
もんじろうさんです
驚いた そして温かかった 猫の気持ちになった
 
 
最高におもしろいチェルシーにも出逢ったが
自分がボランティアをするとは考えてはいなかった
 
 
このようなボランティアの方々に逢い、感銘を受け
芽が出ていたのでしょう
約2年後に満を持さないまま私の無謀な保護活動が始まりました