昨日の明け方友達が亡くなった。

1ヶ月弱前にもう直ぐ亡くなるかもしれないと言う話を聞いて12/30、本当に年越しできずに亡くなってしまった。


自分の友達が亡くなったのは初めてで、余命がもうひと月ないと聞いてからもその子のことが頭を離れず、大晦日の今日は紅白歌合戦を観ながら年越しを間近に迎えそうな自分が苦しい。


亡くなってしまうとどうなってしまうのか、もう意識がなくなってしまうと思うととても辛くて、でも天国も輪廻転生もなんだか楽観的すぎて信じられなくなって、せめてお母さんと魂が出逢えたらと。そこだけでもせめて信じて祈りたかった。


いつも何かを祈ると偽善者のような気持ちになるけどいつも偽善者だと思われても構わないから祈りたいと思っている。


命の儚さを感じて1日1日を大切に生きないとねと旦那さんに言われたけど、私は友達の死を通じて生きる意味がよく分からなくなって、大切に生きると言う気持ちをどうしたら友達の死から汲み取れる人になれるのか分からなかった。死にたいと思う気持ちはないけど、自分のこの考え方に不安と寂しさを感じた。


彼女とラインのやり取りを上にスクロールしてみたら涙が出てきた。

今日はまだ見ちゃダメだ。


友達は優しくて強くて、ラインでも電話の声でも死を感じさせなかった。昔から優しいゆっくりした言葉遣いだった。直接は会えないけど鹿児島に窓越しで会いに行った時、市電の乗り方を聞いたり、お見舞いの花を買ったりして友達のゆっくりした優しい喋り方を鹿児島の人の話し方と気付いた。


ここのホスピスのご飯は美味しい。前の病院は水がおいしくなくてご飯が美味しくなかった。今のとこのご飯が最後のご飯ならいいかなと思って。

この言葉がずんと心に響いた。


今日は葬儀。いつもならぼんやり見る紅白も彼女を2022年に置いてきてしまうんじゃないか。彼女は年が越せなかったのに自分たちだけ年を越しちゃうと思うと、今の時間が苦しい。

明日の明るい新年が来るのも気持ちがついていけない。気持ちとのギャップが今日より大きそう。


ずっと画面の上の方にあった彼女のアイコンが明日からはどんどん下に下がって上がってくることがなくなってしまう。どうしよう。


せめてお母さんと会えていて欲しい。魂が笑っていて欲しい。どうか亡くなってもいいことが起こってほしい。どうか。