阪神・淡路大震災から25年。
この前ブログで「あれから20年」とか書いたような気がするが、それから5年もたつのね。
25年か〜
25年前は25歳だったな〜と当たり前のことを今朝新聞読んでて思った。
当時読んだ報道で、家が倒壊してタンスにはさまった妻を夫が助けようとするが、火が迫ってきてどうにも出来なかったってのがある。
妻は夫に「もういいから。ありがとう」と言い、助けようとする夫は近所の人達に羽交い締めされながら火に包まれていく妻を見送った。
よく覚えてる記事、今朝の読売新聞にも記者が振り返るように取り上げてた。
この夫、当時74歳だったようで。
25年たってるので他界してるだろうけど、長年一緒に生きてきた連れ合いを、こんな形で失うなんて、かける言葉もありませんな。
関西では正月ムード終わると震災記事が続く。
これとは別に、年末に載ってた震災(防災かな?)の大学教授の記事に、取り組み始めたきっかけのようなこと語ってるものがあった。
当時の教え子だった大学生が、倒壊した家屋から埋もれた人々を助け出していた。
頭が下がります。
しかし、足がはさまってどうにもならない若い女性がいた。
女性は「足を切断してもいいから助けて!」と叫ぶ。
でも道具も無いし、医者でもない大学生がそんなこと出来るはずもない。
怖くなって逃げ出してしまった自責の念に取りつかれてしまったが学生がいたから、自分に何が出来るか?ってのがきっかけで取り組んだ、みたいな。
そこまで読んでその記事読むのをやめ、そんな状況になったら自分はどうするだろう?と考えた。
知らない相手なら「すまん出来へん!」って叫んで逃げ出して、学生のように背負わなくてもいいはずの重荷を背負うことになるでしょう。
でも身内や知人なら?
足を切断するが出来る道具がその場にあったとしても、ボクには切断なんて出来ないでしょうね〜
家族いないので仮に甥で考えると、出来ることと言えば周辺の人探して救出手伝ってもらい、それでも無理なら甥と一緒に焼け死ぬかな。
甥見殺しにして自分だけ助かったとしても、どうせ耐えられなくなって自殺するだろし。
でも自殺なんてようやらんと思うから、一緒に死ぬこと選ぶかな。
とか想像は何とでもなる。
実際そんな目にあったらって、いくら想像してても本人の素質で動くか止まるか決まってるんだろね。
急に何か起こったとき、すぐに行動に移せる人がいるけど、ボクはそういう人が行動に出る時間より長く思考タイムに入るほう。
何が起こったのか整理する時間かかってしまうな〜
考えるより先に動ける人とそうでない人の差は、アクシデント起こったときに大きく出ますね。
出来る人とボンクラの違いですわ。
家屋倒壊とか津波とか、大きな地震が来ないと中々遭遇する機会は無いけれど、大雨や洪水なんかは毎年の恒例行事化してる。
地震だって5分後に巨大地震が日本のどこかで起こっても、全然不思議じゃない異常な時代。
毎年災害で死ぬ人が出てるのだから、死にたくなければ、自分がすぐに動けるタイプかそうじゃないのか知っておくのが重要ですね。
少なくとも飲み食いするものくらいは各家庭で保存するくらいのことはやりましょう。