先日の新宿での焼身自殺未遂事件で、北海道議の議員が自殺未遂の爺さんを批判するツイートしたところ、多くの反発があったそうで。

議員が「多くの人に迷惑をかけた」と書いたことを「迷惑なんてかけてない!」とコメントついたり。

人が多く集まる場所で焼身自殺するということは、多く人が見たくもない年寄りが焼け死ぬところを目撃してしまうということ。
それに警察や救急隊員の手間もかけてしまってるのだから、多くの人に迷惑かけてるんだけどね~

電車に飛び込んで自殺することを思えば迷惑度数も低くなるのかもしれませんが、あんなことした奴を擁護するということがどういうことなのかわからないんだろか?

大阪で橋下が選挙に勝つと学校潰されるというデマを広げられたことがあった。
そしてそれを真に受けた小学生が自殺して、遺書に自分の命と引き換えに学校潰さないで、というような子供が書いたと思いにくい文章が書かれてあった。

集団的自衛権反対!を叫んで焼身自殺しそこなった爺さんを擁護するということは、大阪の子供が自殺して政治を変えようとしたことも称賛するのか?

神風特攻隊も称賛するのか?

称賛するなら集団的自衛権反対してる連中みんなで焼身自殺してみればどう?
沖縄での集団自決のように。

命を大切に!と戦争すること反対してるくせに命と引き換えに政治を変えることを称賛するのって、それでいいというのか?

だからお前らは馬鹿なんだよ!

電気代高くなって仕事困ってる、原発再稼働してくれ!と主張して焼身自殺すりゃ、原発を再稼働してもいいのか?
電気代節約、節電協力してる老人達が次々熱中症で家の中で死んだとしても、反原発派は再稼働認めないでしょ。

自爆テロで政治を変えるなんてことは間違ってる。
チベットみたいに行動が制限されてるわけでもないのに。

と言いたいことを先に書いておいて本題。


★先日、新宿駅で男性が焼身自殺を図った。無事を祈るばかりだけれど、現段階ではまだ容態はわからないらしい。
それにしてもSNSはこういう時早い。事件の恐らくは最中から各所から映像が集められまとめられたサイトまでアップされていた。
テレビにも新聞にもこれはできない。

男性が主張した内容が集団的自衛権だったから、メディアが報道しなかったんだと言っている人がいるけれど、違う理由の方が大きいと私は思う。
まず、あまりに衝撃的な映像は東日本大震災でも避けていたから、今回も仮に撮れていてもそのまま流す事は難しかったのだと思う。

それにしてもこれで随分と集団的自衛権に反対する人達は難しい状況に置かれるように思う。
彼の死を肯定するか、否定するか、それとも触れないか。同じ主張をしている人達の中で意見の違いから分かれていってしまう可能性がある。

もし男性の死を無駄にしないように活動が活発化して、本当に集団的自衛権を止められるような事があれば、私達は「自爆テロ的手法」を学習してしまう。
つまり何か大きな政治的決定を阻害したければ、誰かが衝撃的な手法で死ぬのが効率的という学習。

なんらかの主張を持った自殺に意味を与える事は、今後、自殺をする動機を社会に残してしまうという事なのだと思う。
何かを主張する為に誰かが犠牲になるしかないとなってもおかしくない。

人が犠牲を払っていく強い絵は心に残る。だけれどそれはやはり禁断の手法で、僕は認めない立場を取りたい。

面倒くさくて時間もかかり腹立たしいかもしれないけれど、それでも対話して決めていく手法の方がましだと思う。
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為末大(スポーツコメンテーター)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140701-00010001-jindepth-soci




陸上選手だった為末氏の考え方はこう。

そして


★伊勢谷友介、抗議の焼身自殺未遂者への批判に怒り……「卑下することは許せない」

俳優の伊勢谷友介が6月30日、新宿駅付近で起きた焼身自殺未遂事件に関する記事を自身のFacebookに投稿。自殺未遂者に対しネット上で非難の声があがったことについて「許せない」と怒りを示した。

6月29日に新宿駅南口の歩道橋で、50~60代と見られるスーツ姿の男性が拡声器で約1時間にわたる演説後に、ペットボトルに入っていた液体を自らの体にかけてライターで火を着け、焼身自殺を図った今回の事件。報道によれば、男性は集団自衛権の行使容認に抗議する演説を行っていたという。

伊勢谷はこの事件後にネット掲示板「2ちゃんねる」に匿名で投稿されていた内容がひどいものだったとし、
「『名無し』の人間が、焼身自殺と言う命をかけた行動を、頭ごなしに迷惑だとか、狂人扱いし、卑下することは許せない」と怒り心頭。

「命の使い方をどうするかは、意志のある人間が持てる大切な自由だ。それも社会の一大事に、命を賭して、その問題提起や変革のための切っ掛けを創るなら、なおのこと然りと言うべきだ」と持論を展開した。
http://woman.infoseek.co.jp/news/entertainment/rbbtoday_121361


俳優の伊勢谷氏の考え方はこれ。


伊勢谷の2ちゃんねるでの焼身自殺未遂爺さんへの誹謗中傷がどんなものを指すのかわからんが、2ちゃんねるなんだから酷いものがあるのは当たり前のこと。
そういうのを怒ることは問題ないというかマトモなのですが、最後の方に書かれてあるものは問題です。

自爆テロ容認ですよこんな考え方。

自分の命をかけてまでやらなきゃならない事態ってのは、生きていれば訪れることもある。
例えば震災のような大災害のときもそうだし、原発事故もそう。
そういう大きな出来事だけでなく、家が火事になって、まだ中に家族がいるってときもそう。
子供が海や川で流されて溺れてるとき、家族や知人が街で喧嘩や事件に巻き込まれたりしたとき。
家族の中に臓器移植が必要になったときなど、色々とある。

こういうのと主義主張を押し通すための自決とは全然違うのです。

ここまで書いても焼身自殺未遂爺さんを称賛する奴は、大阪の子供の自殺も認めて、これからも反対の場合は次々と人が死ぬことを推奨すると主張してもらいたいね。

そして主張して死ねばいい。


為末氏と伊勢谷氏、どっちが正しいと思う?