くっそー読売の記事、プレミアムでしかネットで見られへんがな!

4千円近く新聞購買料払ってるってのに、それプラス料金払わな読まれへんって酷過ぎるぜ!


新聞業界はあれだけ消費税増税推し進めてきたくせに、いざ増税となると新聞には軽減税率当てはめろ!と主張w

みっともないと思わないのだろうか?


話逸れる前に手打ちで記事紹介。



教育ルネサンス 愛国心1


「日本」を調べ学習で知る


神奈川県横須賀市神明小学校の冬の朝。5年1組の教室は活気にあふれていた。

「日本人のよいところは、マナーがよいところだね」「よくない人も多いよ」。子供達が日本社会の印象を次々に黒板に書いていく。昨秋から、総合学習や道徳の時間を利用して取り組んできた「愛国心」の授業。12回目のこの日は総まとめだ。


黒板の向かって右側に「心配なところ」、左側に「よいところ」、そして中央は「では、自分に何が出来るか」。

「悪い所は直していきたい」「よいところを自分の代で終わらせたくない」などの記述が並ぶ黒板を見つめていた担任の根本哲弥教諭(30)は、「勝負はこれから」と拳を握りしめた。


教員になって8年目。学習指導要領に盛り込まれた「愛国心」を巡って、どう授業を進めるのか、無理をしてまで教えるべきなのかと悩んでいた。その背中を推したのは、数年前から指導を仰いできた日本道徳基礎教育学会の新宮弘識会長(80)の一言だった。


「子供の内なる愛国心をどう引き出し、自覚させるか。それが教師の役目だ」


ことさら国が意識しなくても、伝統や文化の中で子供は生きている。理解が深まれば、よさを継承し、課題を解決しようとする心がわき上がるのではないか。根本教諭はそう考え、日本についての調べ学習をすることにした。


数人ずつのグループに分け、テーマを決めて調査する。図書館に足を運んだり、親や周囲の大人にインタビューしたりするうちに、子供達の議論は熱を帯びていった。

例えば、国語グループが、敬語には相手や物を思いやる心があることや、季節の彩りに恵まれた日本には豊かな四季折々の言葉があることなどを発表する。すると、今の言葉遣いの乱れを問う声が自然と出てくる。


日本の産業を調べ、技術力が世界で評価されてきた歴史をまとめた社会グループは、資源の少なさや食糧自給率の低さ、環境破壊の進行が心配だという意見も合わせて発表。調査の途中、伝統工芸品の美しさを知ってほしいと、児童の一人が「お母さんの物」という鎌倉彫を持参する。


「学習に対する姿勢が、目に見えて違ってきた」と根本教諭は振り返った。


そんな積み重ねの上に立った最後の授業。「日本を良い国にしたいね。でも同時に、他の国もよくしたいね」と締めくくった根本さんに、笑顔と拍手で応える子供達。「知らないことがいっぱいで面白かった」「またやりたい」と声を弾ませた。


この日の授業は、研究授業として公開され、校外の教員も含め約20人が見学した。新宮会長は「この授業をモデルに、講義を広げていきたい」と話す。

教育界に、「愛国心」の風が吹き始めた。

(読売新聞2013年1月24日)



小学生の愛国心教育はこういうので良いと思う。

この授業には余計なものが含まれてないからね。

愛国心教育にイデオロギーは必要ありません。


小学生のうちに自分で物事を考える必要性ってのもを、ちゃんと教えてあげれたらいい。

大人になっても言われた通りのことしか出来ないってのじゃ、今までどんな人生送って生きてきたのだろう?って人生否定の烙印押されちゃいますからねw

ま、言われたことも出来ない人ってのも多いのですが。


小学生にはこれでいいとして、問題はその先ですな。

中学生になると自我も目覚めて興味あるものが大きく増えてきますし。


愛国心にはイデオロギーは関係ないけど、国家となるとイデオロギーの他に宗教心なども必要となるんですよね。

何か、を中心にしてないと国家維持が出来なくなってしまう。

日本で生きてるとそういうの意識しませんが、本来そういうものなんですよね~


日本で生きてると意識しないと書きましたが、無関心なりの「日本愛」ってのは皆持ってると思う。

例えばオリンピックなどの世界大会で日本を応援したり、高校野球の人気なんかも郷土愛ってものが存在してますし。

震災なんかでも全く被害受けてなくても心が痛みますし、先日のアルジェリアのテロでも日本人犠牲者ってものに関心持つ。

自然災害や紛争など他国での出来事にも関心持ち、悲惨な出来事に心を痛める。

どんな環境でも生きていれば何かしらの大切なものってのは自然と出来るんですよね、わざわざ教育されなくても。


日本的なこういう雰囲気、ベストなんじゃないか?と思うんですけどね。

毎日「国のために!」って思いながら生きてる人なんていませんし、そんな必要もありません。

国防的な職に就いてる人は別としてね。


仏教国なのにクリスマスやバレンタインを大々的に盛り上げる、それでいいじゃないって思うのですよね~

特定の宗教を持ちあげてはならないといっても、サザエさんでクリスマスやお盆のテーマ扱っても誰も文句言わないような、ね。


そこで何故教育で愛国心が必要になってるのか?

自由な国、自由な発想や考え方でいいならそんな教育いらないじゃないって思う人は、もっと自分の頭で考えなさい!と言いたいね。


小学校でこういう授業をやって考える力つけても、中学以降でそれを受け継がないと意味が無い。

小中高連携でやっていかないとね~


中学生から、高校生になってから、こういう授業をやっても生徒は興味持ちませんからね。

どんなものにも良い面悪い面ってものが必ずあるってこと、生徒に教える前に教師が理解しないと教育なんて出来ません。


人間は協力し合って生きていける生物だけど、他人の命を奪ってでも生き延びようとする生物でもある、例えば戦争・殺人・強盗・臓器移植など、ってことをね。


片方だけを教えることを偏向教育という。

両方教えて考えさえることが重要ね。

そして良い面悪い面がある中で、時にはどちらか選択しないといけないことがあると。


数学などのように小中高のマニュアル作れればいいんだけどね、愛国心教育も。

教師個人に押しつけるのは無理があるものだし、どうしても個人の感情が入っちゃいますからね。


まずはテキスト作りと教師への教育が必要だね。