今さらながら4月の話
4月の12日は
ティアラの誕生日でした
迎えられなかった12歳
11歳3ヶ月でお空にお引越し
その1年前の11歳の誕生日は
もう皮膚の調子が悪くて病院通い中
アトピーの疑いで
療法食以外のものは全て禁止されていたため
ケーキも焼き芋もヨーグルトもお肉も
好きなものを食べさせることができなかった
治ったらケーキで盛大に11歳のお祝いしようね^^
ちょっとの我慢だからねって・・・
皮膚のカサブタはなかなか良くならず
半月後には皮膚型リンパ腫の疑いと言われて
そこからは怒涛の日々
大学病院に送った細胞型の結果は
10日以上経っても出なくて
なんの治療も出来ないまま
フサフサだったティアラが
脱毛も進んでハゲハゲになり
一晩中掻きむしって熟睡する事もできなくなり
どんどん弱っていき
これ以上何もせずに見ているだけはできない私は
かかりつけ医と対立して
急きょ腫瘍認定医のいる病院に転院し
検査結果が出ていなくても
とりあえずティアラちゃんの命をつなぎましょう、
って言ってもらえて
ホッとして診察室で大泣きしたな…
どうか時間がゆっくり過ぎますようにって願う毎日
3回の皮膚片検査でも細胞型の結果が出ず
先生が個人的に大学の教授に相談してくださり
亡くなる2日前に結論として
「TとBに細胞が分かれる前の
芽細胞の段階ですでに
片っ端から癌化している状態ではないか。
(だからTかBかハッキリした診断がつかない)
悪性中の悪性で進行はものすごく早く、
効く薬も無く、これ以上の治療は難しい」と。
体を触ると悲鳴をあげるようになり
抱っこも出来ず
移動するにもクッションか
ドライブボックスに乗せて抱きかかえるしかなく
夜に救急病院に駆け込んで鎮痛剤をもらったばかり
でも、その鎮痛剤でさえも弱った消化器には悪影響で
かえって苦しいだけだと…
「本当に何も出来ませんか?
痛みは取ってあげたいのです
どうかティアラを助けてください…」
泣いて粘る私に先生も困り果てたことでしょう
「心臓の薬と、痒みと痛み軽減のためのステロイドは
続けましょう
体調がもてば
弱い抗がん剤の投与もできるかもしれません」って
でもその後すぐに
リンパ腫による全身状態悪化で
肺水腫が急激に進行し
あっという間に逝ってしまった
今思えば、先生はそんな日は来ないってわかっていて
私に希望をもたせてくれたのかな