2016.8月 仮死状態で生まれた息子。
先天性点状軟骨異形成症と診断され、生後3週間で頚椎手術(後弓部切除)。現在四肢麻痺と難聴があるものの元気に地域の小学校へ通う息子。


2023.5月 18歳で側頭葉てんかんを発症した娘。静脈奇形発覚。
血液検査から自己免疫性脳炎を指摘され、現在、検査とステロイドパルス療法を繰り返す日々。



病院に到着した途端
看護師さんに、
「お母さんはこちらでお待ち下さい」と、
待ち合いに通された

事務のおじさんに渡された申し込み用紙を記入しながら、待つ

10分くらいで看護師さんが呼びに来てくれて
「◯◯が心配みたいですよ」と、

精神的なことで倒れたんじゃないか…というようなことを遠回しに言われた

そうかな?
確かに心配してくれてるし、少し不安に思っている事も気づいていたけど、
それであんな倒れ方するかな?


その後、当直の先生に、
倒れるとき、
右手と右足がゆっくり上下に動いていたような気がします(←9カ月も経ったのに、思い出すと気持ち悪い…というか、怖い…)
と、伝えた

先生は
「今は意識もありますし、状況を見てないので、なんとも言えないですが、てんかんの可能性もあるので平日の昼間に脳神経内科を受診して下さい。この病院でも良いですし、お近くの病院でも良いです」と。

娘が倒れたのは金曜日の23時半。
病院に到着したのは、1時。
土日、不安なまま過ごすことが怖かったので、CTだけお願いして撮ってもらった。(異常があったとしても入院は出来ないことは了承した上での検査)

結果、CT上は異常ナシ。←それを確認したかった

今日はもう帰って良い、と言われたものの
青白い顔をした娘は立つことも座ることも出来ない

ペットボトルの水を買ってきて渡したが、気持ち悪くて飲めない

結局、点滴をお願いした

検査も点滴もこちらからお願いして渋々という感じで
ちょっと嫌だったが、

(こちらも医療費、深夜加算付くし、嫌なんだよー!でも脱水起こしてて、水も飲むの困難なのに、点滴しましょうか?とか普通そっちから言わない?)

点滴のおかげで、
フラフラではあるものの
タクシーでなんとか帰宅

3時は過ぎていた

お兄が目を覚まし、お姉の生存を確認すると自室に戻った

お兄は、恐怖で泣き叫ぶSO-ちゃんを寝かしつけてずっとそばに居てくれたのだ
(so-ちゃんは、当時寝ていたけれど、私の叫び声で目を覚まし、救急車が来たことで「お姉ちゃん!お姉ちゃん!どうしたのー!!」と泣き叫んでいた。お姉の姿は、全く見ていないけれど、不安で不安で小さな胸が張り裂けそうだったんじゃないかな…)

補聴器つけてないのに なぜ聞こえた?
と、不思議。。。

この日のことは、当時6歳の
SO-ちゃんの胸にも深く刻まれた嫌な思い出となる

そして、月曜日、脳神経内科にて側頭葉てんかんの診断に近づく

不安な日々の始まり